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風葬

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自分の醜さを

砂浜に横たえて、

風葬したい



あす9月14日(日曜日)、鹿児島川辺の森のがっこうでの森のおまつりというイベントで、我が黒潮農場の初めての塩出店、そして16時からのライブに出演して踊ります。

黒潮農場というのはわたし達が始動させた塩工房の屋号。
HPも近々オープンします
http://simple-salt.jp/

「地球(ほし)の塩」、初陣です。


森のがっこうは廃校になった小学校を使った多目的スペースで、
広々とした芝生に大きなクスノキがシンボル的に立っている気持ちのいいところです。

イベントは11時からで、16時からライブです。
イベントでは色んなワークショップや出店があります。
私達は手作り天然塩の販売と、塩作りワークショップ開催の予定です*

寝具等持っていけば宿泊もできるそうです。

パスが1000円で、中学生以下は無料です。

このHPにチラシがのっていました*↓
http://sattonmama.chesuto.jp/e72179.html


ライブでは薩摩琵琶等の奏者の井上大輔さんと共演することになっています。
明日打合せの出たとこ勝負です。
どうなるかな

小道具を家の前の藪の中から引っ張り出してきました。
あした使いたいと思ったら使おうと思う。


お逢いできたら嬉しいです!!



詩を書いてみます



出逢って、そして別れてく

そのことになんの意味もないと思いますか?


つなぎたいとおもって結わえたものがほどける様をみるのは虚無感を感じさせることのようだけど


そうではないんだよ


何度も何度も出逢い直して そしてまた別れて


その繰り返し、


わたしはいつかバラケ

あなたもいつかバラケて

また どこかで 出逢う


空から降り、山を染みとおり、海へいたる塩のひと粒と




わたしは、同じ だ




・・濁流に流されることだけが生きることか?


いや、そうじゃなく


なにか強い飛沫あびてそれでもなお微笑むような想像を絶する強さもあるのではないですか


へっちゃらで笑うそんな境地もあるのではないですか


流れに乗らなくなって、流れを見送ったっていいんじゃないですか


そのことが爽やかであることだってある



暗いくらい不信感が渦巻いていて、いつだって男を信用したことなんてなかった

いつだってアドバンテージを取りつつも流れに乗るという技術を駆使してやって来たけれど、
足元の流れに乗るのにはもう飽きた


どうどうと流れていく濁流を見送ってそして飛沫を受けつつも空を見上げて雲が鮮やかに大きく流れていく様を、共に踊りたいのだ


わたしは踊るわたしをわすれかけていた だから生命力が失われかけていた それじゃ、わたし、死んでしまう 




もっと掘り返して撫で回したっていいんじゃないでしょうかね

エロチックでしんとした穏やかな「いま、ここ」を、



あなたは

 

 

妄信がわたしを支配してしまう前に  もっと走れ速く!!!


もっと身ひとつの自由さを思いだすべきだ


強い性の濁流に呑み込まれて巻かれてしまっても わたしはいつかバラケル

バラッバラに砕け散る


笑うけれど分裂してる  いつだってそう


花の束を取り落としながら自らも花の死の寝床へゆっくりとゆっくりと落ちていく時、

わたしはようやくすべてが一瞬でそして永遠であると知る



だからわたしは在ればいい  そのままに在ればいい


わたし自身が飛沫であって相手の一部であって空気であって風であること



心のどこかですべてを 知っているのだから



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