内観: 2010年11月アーカイブ
田中泯さんのHPにあった石原志保さんの「自分の踊りをBUTOUとは、考えておりません」から始まる言葉を読んだ。http://
わたしも最近は自分のプロフィールにあまり「舞踏」という言葉は使わないようにしている。私が影響を受けた踊り手は田中泯さんを含め、あまり「舞踏家」と名乗っている方がいない。だから私も「即興舞踊」という言葉を使ったりしている。でも、「舞踏」という言葉自体は好きなのでちょっと未練もある。
私もやはり土方巽からの系譜を継いでいる師匠に師事した身として、その系譜を継いでいる・継ぎたいという気持ちがあるから未練があるのだろう。ただ、そのジャンルの枠にはまっていたいとは思わない。境界線上にいたいから
しかし、土方巽から始まった「舞踏」の流れはそもそもジャンルの破壊をおこなう類のものだったのだと思う。ただ、時間の経過と共にジャンル化してしまっただけで。おそらく「舞踏」という言葉は誤解を招きやすい用語になってしまったのだろうと思う。素直に「踏む」という字は好きなのだけれど難しいな
話は少しずれるけれど「踊り子」という名乗り方も結構好きだ。ただただなんの肩書きも持たない「踊る人」でありたいという気持ちと共に、「芸人」の一端でありたいという気持ちも少し持っているからだと思う。場を賑やかすためのやや職業的な「踊り子」の役割も時にはにないたいと思っているのだ。
わたしは「舞踏家」と名乗る師匠に師事し、「舞踏家」以外の色んなダンサーにも影響を受け、「即興舞踊をしています」と澄ましてみたり、時に職業的「踊り子」であり、ただの踊る野生としての紫川原人であったりもする。揺らいでいる踊り手だ。
今のところ、「踊るまさやん」であるということだけは間違いないのだろうと思う。
