観た感想の最近のブログ記事
ロシア文学の紹介者の亀山郁夫さんがドストエフスキーについて爆笑問題と語り合うのを観てとても感銘を受けて、
このことについて書かないといけないなと思っていました。
そんな昨日、本屋に入ったら二冊の本と出遭った。
まず目に入ったのは
「福田君を殺して何になる」という本で、
光市母子殺害事件の事件当時未成年だった福田被告が書いた手紙などが取り上げられている内容だった。
さっと目を通しただけだが、
本が問いかけている
「この未熟な青年を殺すことが根本的な問題解決なのか?」
ということは胸にひっかかり、
また書店を歩き出したらまた一冊の本が目に留まった。
一家四人惨殺事件を起こした当時19歳だった被告(今は死刑囚)のドキュメンタリー「19歳」という本だった。
この死刑囚の起こした事件は、
強盗目的で侵入した家で老女や幼女を含む四人を少女の目の前で殺してしかもその少女をその場で犯すという酷いもので、
捕まった後もその男は全く反省のない態度だったという。
「読みたくない」という気持ちがありつつも、
その本に引き込まれ大半の内容を立ち読みした。
その男の生い立ちが特に気になったからだ。
その男は遊び人の父親の借金や暴力が原因で両親が離婚し夜逃げをしたり、貧乏が原因でいじめられたりしていたという。
しかし男の弟は真面目に生きているし、
もっと厳しい状況の中で道を外れず生きている人はいるのだから
生い立ちのせいには出来ないと本の中で著者も男に伝えている。
その通りだと私も思う。
しかし生い立ちを見ていると何箇所か道を外れるターニングポイントが目に留まった。
付き合っていた恋人との仲を親に引き裂かれたこと。
「家に電話はないです」と言って教師がクラスの皆と笑ったエピソード。
それらは些細なこととも言えるかもしれないが、
もしそれらの場面で誰か男を助ける人間がいればなにかが違ったのかもしれないと感じるものがあった。
これらの事件は本当に酷いもので、
もし自分が事件の関係者だったら、こんな本は見るのも嫌だろうし、
被告人は死刑で当然だと断じるに違いないと思う。
そうした遺族の方々の感情に同調したくなる自分の感情を抑えながら、私は問題の根本をみつめてみたいと感じた。
ドストエフスキーの「罪と罰」は、
引きこもりがちな苦学生のラスコーリニコフが
「天才は正義を実現するために犯罪をおかす権利がある」
という考えに捕われて金貸しの老女とその妹を殺すというストーリーだ。
「自分はほかの人間より多くのことを許された人間なんだ」という一文もある。
ドストエフスキーの描く時代は農奴開放後で混沌とした時代。
開放されたことで自由になったが
『自由は金がかかる』という事実があり、
すさまじい犯罪が起こってきだしたのだという。
その時代のロシアの広漠とした大地と現代のネット社会はどこか重なると亀山氏は指摘する。
「秋葉原通り魔殺傷事件の青年を法は裁けますか?」とも亀山氏は問題提起した。
「おわかりになりますか?これ以上行き場がないってことがいったい何を意味するか?」(罪と罰)
「罪と罰」のラストで、ラスコーリニコフは彼が汚したよごれた大地に口づけをして救われる
還ることが出来る大地を見出だすことができれば人間は救われるのかもしれない。
ただ、大地を見出だせない、還る場所も全くない人間は他人と繋がることを放棄せざるを得ない状況に追い込まれる。
最近近所に自然花(じねんか)という子育てサポートスペースが出来て、
そこの人達と親しくさせてもらっている。
自然花のスタッフの方達は児童養護施設で長年働いてきた経験があって、その当時の話を聞いたことがある。
児童養護施設に来る子ども達は家庭が崩壊して最後の行き場所としてそこに来ていて、
スタッフさんは昼夜を問わず子どもの脱走などで呼び出され、
ナイフを向けられた経験もあるという。
子ども達がそこまで追い詰められる前に救う場をつくりたいという志で自然花はつくられたのだそうだ。
夫が代表をしているNPOのやっていきたいことは
自然花と重なる部分が多いので
色んなことを協力してやっていきたいと思っています。
そして、仕事のない地方に新しい名物や雇用を作り出したり、
物々交換のネットワーク作りや「仕事と宿・食事を交換する働き方」なども模索したりしていきたいと思う。
機械のように使い捨てにされるのではない、人間として働ける道を拓いていきたい。
修学旅行の受け入れで中高生に触れる機会も大事にしていきたい。
その一日の経験が彼らの何かを変える可能性があるかもしれないのだから。
ドストエフスキーの最後の作品「カラマーゾフの兄弟」のエピローグで主人公アリョーシャは 叫ぶ
「もしも、自分たちの心に、たとえひとつでもよい思い出が残っていれば、いつかはそれがぼくらを救ってくれるのです。」
彼らの心にそういうものを残す可能性に賭けたいし、
例えドストエフスキーに遠くおよぶことなどなくても
少しでもわたしにできる表現方法 たぶん踊ること で「闇の中にある光」を解き明かしていきたい。
それがどんなに小さな一歩であっても。
そんな風に、思う。
とても内容が濃い一日でした。
塩の出店では色んな人とお話しし塩も買っていただいて、
初出店ということで反省点は色々とあるのですが、
これからにつながるいい機会をいただいたと思っています。
雨の日だったので屋内でのイベントになったのですが、それはそれで密度が濃くていい雰囲気でした。
ライブの出演は、
共演したのは井上大輔さんとつじさん。
大輔さんは今回は天吹という鹿児島の伝統的な竹笛やアイリッシュハープを吹いてくださいました。
つじさんは屋久島在住のブルースギター奏者です。
屋久島在住の肉体天然詩人の虫丸さんともよく共演されている方です。
赤い衣装を着て白塗りをし、
うちの庭の藪に絡んでいた蔓を引っぱりだして持って行って体に巻いてひきずり、
森のがっこうの木に咲いていたピンクがった白い花を片方の手のひらに乗せて、
彼岸花を二本片手に握って
夕刻、大きなクスノキのある庭から、ステージのある校舎へと歩いていきました
歩いていく途中に、みていた子ども達が「怖い」「お化けみたい」「なんでこんなことしよるかあんた聞いてみ」「嫌やー」 などと話しているのが聞こえる。
子どもはちゃんと感覚的にわかっているなと思った
わたしは 彼岸を 歩いていた
つるを舟のように引っ張ったり、担ぎ上げたり、背負ったりした
彼岸花は絡み合いたかった
契りが欲しかった
ずっと一緒に いたかった
それでも 不意に ふっと 平行に 離れた
わたしは花だけをもって、立ち上がった
私にみえたのは、目の前のお客さんたち 生きている人たち だった
わたしは『みんながいないと生きていけないよ』 と思った
そして、終わった
出演が終わったらイベントを抜けさせてもらって、隣町の知覧町のソラヨイという十五夜行事を観に行った。
国指定無形文化財になっているもの。
日本のものとは思えない扮装で催されるソラヨイ。
こんなものです↓
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唄をうたいながら子ども達がぐるぐる回るのだが、唄と唄のあいだにかなりながい「静寂」の時間があって、それがぞくぞくするほどよかった
月明かりに唄だけ響く静寂の中で行われるのが本来のソラヨイなのだろう
実際は、雨の日だったので月が出ず電灯がこうこうとたかれ、
見ているギャラリーのカメラのストロボが絶え間なく光り話し声が聞こえる
『邪魔だ』 と思った
唄い回る子ども達の真中にわらの家のようなワラコズンというものがあって
回る方向が二回目の唄いで反対方向になることの深遠さ
最後にその大きな存在が子ども達に打ち倒されることの意味とはなんなのか
非常に興味深いものだった
こんなソラヨイも後継者不足に直面しているらしい。子どもが少ないのだ。
あらゆる民俗芸能が直面しているか、もしくは既にその事態が来て消滅してしまったりもしている。
失ってしまったら、
おそらく いつか困るのではないかと 思った。
その土地その土地の自然とどう付き合っていくかということ、
その知恵が民族芸能には濃縮され残っているのではないかと思うのだ。
それを一旦完全に忘れてしまったら、取り戻すことは容易ではない。
金は はかない
人間は最終的にはその土地の風土に立ち帰るしかないのだと、私は思う。
その時に知恵が失われていると、つながりたいと思っても方法がわからず、糸が切れた凧のようにさまようしかなくなるのだ
それは恐ろしいことではないだろうか?
その時は着実に近づいているのではないかと思う
イベントが終了したら 森の静寂の中を 歩いた
ずっと ずっと
歩いていることと踊っていることが一体になっていくように
時を うしなってしまうように
いい、時間でした
ひさしぶりの日記です!
新潟では堀川久子さんというダンサーの方とお逢いしてお話したり、公演を観に行ったりしました。
もの凄い力量の方でかなり衝撃を受け、踊りに「北の風土」というものを感じました。
観ている最中ずっと凄い重力を感じ、身体がバラバラになりそうだった。
機会があればぜひまたお逢いしてワークショップも受けてみたいと思う。
東京では水族館劇場というテント芝居に滞在させていただいた。
役者さんのセリフの浸透率のすごさに驚いた。
キャラクターの枠を作ってそこでセリフを跳ね返すのではなく、魂の奥底から言葉が出ているように感じた。
「東京の他のテント芝居には子どもは入れない。でもうちはちがうから。」という劇団員の方の言葉にも深く感じる所があった。
また、水族館の現場に行ってなにかを掴み取りたいと思う。
そのためには日々を真剣に歩んでいかなければ。
今年の夏も出来ればダンス白州に行きたかった。
「縄文という生命」というテーマも気になるし、私の通っていた大学ゼミ教官がなぜかダンスの演出で参加するそうなので
できれば行きたいけれど、家の引越しが来月で夫の塩工房始動もあってどうも激動の日々になりそうで。
引越し先は枕崎というカツオで有名な街の山の中です。
薪風呂、井戸水、汲み取りトイレ、畑つき の一軒家で、新しい生活が始まることになります。
やるしかないぜ! という感じです
いま、深いところからじぶんに変化が起きてきています。
それは自分が来月29歳になることとも関わっているのだと思う。
どこに向かうのか
行こう!
ゴールデンウィークは、鹿屋市柳谷(やねだん)集落の芸術祭に行ってきました。 やねだんの本拠地の柳谷集落は「行政に頼らないむらおこし」をして注目されている所です。
空き家対策として、「迎賓館」と名づけた家に格安家賃で芸術家に住んでもらったりされています。
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イベントは5月4~6日だったのだけど、4月27日位から全国のアーティストがやねだんに集まって合宿しながら集落の中で制作を始めるという企画だったので、私も少しだけ早めの5月1日からやねだんに行ってきました。
集落に伝わっている踊りがあると聞いていたので、
集落の踊りを習ったり踊りにまつわる話を聞いて発表できたらいいなと思いつつ、それが無理でもなんらかの形でイベント中に踊らせてもらえたらいいなと思っていました。
わたしは大学生の時に人類学のゼミに入っていて盆踊りの調査をして卒論を書いたのですが、その時にやった参与観察という『実際にやってみて感じたことを発表する』という手法と舞踏をうまく合わせて自分の作品にできないか という気持ちがあったのです。
さて、やねだんでの踊り探しを始めた滞在二日目の話から。
午前中は新しい迎賓館になる空き家の整備を手すきの人総出で手伝うことになった。
家の周りの立木をチェーンソーで刈りまくって軽トラで運搬したりなど大掛かりな作業だった。私は子連れでほとんど役に立たなかったけれど・・。
家の中に残っている荷物の片付けもした。
掃除機、布団、トイレブラシ、工具、靴・・
かつて住んでいた人がいた時そのままになっていた暮らしの匂いが残る物たちを縁側に集めていく。
こうやって大きな労力を惜しまず払うことで柳谷の空家活用が可能になっているんだということが目の当たりに出来たのでよかった。
午後には、やねだんで陶芸をしながら生活しているムラさんにやねだんで踊りに詳しそうな方のお家に案内してもらった。
ユゲちゃんという福岡から来ていた作家さんと一緒に。
残念なことにその方は体調がよくなくてお会いできなかったのだけど、
そのついでに集落の中を案内してもらいながらこぼれ話を色々と教えてもらった。
「ここの人は軽石を使う仕事をしてるから玄関先に大きい軽石が飾ってあるんだ」とか、「ここの塀やバス停は作品の素材に使ったらすごくいい」とか、住んでいる人だから見えることを色々教えてもらって楽しかった。
そして「ここの木立がすごくいいんだよ」と言ってムラさんが細い道をずんずん歩いていくのについていって、ちょっとした林のような場所で樹を見上げたりしていたらそこに面したお家に住んでいる70代くらいの女性が「誰かと思った。びっくりしたー」と言って出てこられた。
その方はムラさんと顔見知りのキミエさんという方で、「上がってお茶でも呑んでいかんね」と言ってくださるのでありがたく玄関先にお邪魔することに。
そして色々なお話しをしながら『小豆と金時豆の中間くらいの豆』を甘く煮て冷たく冷やしたものや、手作りの梅干しやラッキョウ漬けなどをお茶と共にごちそうになった。
こんな美味しいもの世界中にそうない、と思った まじで。
キミエさんのお宅の隣のお家の人は先日亡くなったようで、空き家になったばかりだそうだ。
庭先の菖蒲の花などがまだ美しく咲いていて、住んでいた人の家を大切にしていた思いの片鱗がまだ生きて残っていた。
そのお宅の庭先に壊れて閉じなくなった傘があったので、私は踊りに使わせてもらおうと借りていくことにした。
キミエさんは踊りについての話もしてくれた。
キミエさんがお嫁に来た56年前頃には「八月踊り」という踊りがあったのだという。
それはお盆の頃に踊られていたもので、30年位前からは途絶えているのだそうだ。
数え歌や三味線や胡弓の楽団がやぐらの上で演奏をして、
その周りを踊ってまわるというものだったらしい。
踊り手の男は紋付袴を着て、女は裾模様という黒紋付に裾に模様があるお嫁入り用の着物を着て、目だけ出す覆面をして踊ったもののようだ(覆面の話は他の方に聞いた)。
わたしはそれを聞いて「その踊りをぜひ習ってみたい!」と感じ、
習うのが無理でもどんな踊りだったか触れてみたいと思い、
「今でも踊れる方はご存知ないですか?」とキミエさんに聞いてみた。
すると「館長さん(村長さん)のお姉さんは三味線を弾いていたからわかるかもよ」と教えてもらった。
おぉ!と俄然盛り上がるわたし。
それでさっそく館長さんに聞いた所
「踊りがわかるのは○○さんがいるけど少し痴呆症になっているからなぁ。今回は時間もないから無理だろう」
とのことだった。
残念だったので他の人にも聞いてみたけれど道は開けず、実際日にちが残っていなかったので今回は踊りを習うのは諦めることにした。
やはりその土地に余り残っていない踊りを習うには最低1ヶ月の時間をかけるアプローチが必要だろうなと感じた。
でも踊りを覚えている人はもう80歳すぎの人だけなので、
近い将来には踊りを踊れる人が全くいなくなってしまうのだろうと思う。
もし機会があればいつかまた八月踊りにアプローチをかけてみたいと思う。
そして、やねだんには棒踊りという踊りがあることもわかった。
この棒踊りは今でも毎年2月に踊られているものだ。
主に子どもや大人の男性が踊るそうで、豊作を祈願して、集落の家を一軒一軒回って家の前で踊り、お布施をもらってまたもう一度踊ったり、酒を呑みながら踊ったり、となかなか楽しそうなお祭のようだった。
踊りで唄われる歌の内容はどうやら少し女性をバカにした内容のようだ。詳しい内容が気になる*
この踊りは知っている人が多いので教えてもらおうと思ったのだが、みんなイベントの準備に忙しくて結局これも教えてもらわず終いだった。
棒踊りの時期にまたやねだんを訪ねることが出来たらいいな、と思う。
そういう訳で集落の踊りを習うことはできなかったけれど、話を色んな人に聞いてみたことはやってよかったなと思う。
そして、5月4日の夕方、メインイベントの後に萩原さんという方が作品を展示している畑で踊らせてもらうことになった。
その畑は近くに田の神さまがいる神社があったので、
神社でお祈りをするところから踊りを始めることにした。
鹿児島の色々な所にいらっしゃる田の神さまは、素朴だけど力強さがある神さまたちだ。
スウェーデン人の作家さんにピアニカを弾いてもらったり、
以前も共演させてもらったことのあるミュージシャン方に太鼓や鳴り物等いろんな楽器を鳴らしてもらったり、
仲間の舞踏家さんにも踊ってもらったり、と贅沢な舞台設定になって、
日暮れ時の雰囲気もよく、畑の土や草は生きていて、
色んなものに力をもらった その時にしか成立し得ない踊りの時間をいただけました
みなさんありがとうございます の一言でした。
メインイベントは落語や舞踊やカポエイラなど、面白い演目目白押しでにぎやかでした。
集落のあちこちに展示されたアーティストの作品も観てまわり審査されたりもしてました。
集落の風景に溶け込む展示の数々は『新しい風景』を作り出していて、
「そこにあるものと一体になってつくりあげるということ」について見せてもらったように思う。
特にセキトさんの川を舞台にして畳と竹を素材にした大掛かりなインスタレーションを作るのを少し手伝って、それが完成・成立する瞬間を目の当たりにできたことには感動した。
その作品はその空間を明らかにそれまでと別次元に生まれ変わらせていて、素直に『凄いな』と思った。
イベントの演目の一つだったカポエイラはブラジルの踊りで、最近ちょうど気になっていたものだったのでここで出逢えるとはとびっくりした。
カポエイラは武術と踊りが融合したようなもので、
少し踊りを教えてもらったら、常に相手に対して構えをしたまま動き続け緊張感を失わない踊りの構築がされていて、
『こんなのもあるんだ!』といい刺激を受けることが出来ていい経験だった。
これは、カポエイラを習う間娘をみててくれたリエさんのおかげです。
感謝・感謝でした。
その日の夜は広場で焚火をしながら宴会だった。
おうどんや、あくまきや、しっとりふくれ菓子(米粉製)、巨大はまぐり焼きなどなど美味しいご飯がいっぱいでした。
キャラクターあふれるダンスやら、
しっとりとした美しいベリーダンス&タブラやら、
切ないギターの弾き語りやら、
焚き火を囲んで民俗芸能について話したり「仲間ってなんだろうか」という真面目な話をしてみたり なんだか素晴らしい夜だった。
踊りをみてくださったヤナギダさんという方から、
「衣装に使ってください」とオーガニックコットンの布をたくさんいただいたりもしてものすごく嬉しかったです
布をもらったことというよりも、それを衣装に使ってほしいと思ってくださったその方の気持ちがなによりも嬉しいことでした
そしてわたしの滞在最終日は鹿屋のジェンベチームによるジェンベワークショップが行われました。
太鼓を聞いてのりのりで踊りだす人たち。
そしてなぜかジェンベチームのメンバーの女性が沖縄出身だったために三線で唄のライブも始まった。
ビギンの「島んちゅの宝」という唄など、高音の美しい歌声に思わず涙がこぼれてしまった。
なぜかわたしはどこに行ってもやはり沖縄に出あってしまうのだな と思った。
それは嬉しいことなのだけれど。
お世話になったご夫婦の美味しいカレーをいただいて、空き家からお借りしていた傘を感謝してお返ししてから、みんなにお別れした
・・すごい濃い日々でした 帰り道の車中で突然熱を出したのは緊張の糸が切れたからだったのでしょう。
やねだんで得たことを 大切に大切に これからにつなげていきたい
そう、思っています!
ほんっとうに毎日、楽しく、幸せだった
どんな日々だったかのこしておきたい
北九州に着いたらtsuneちゃんと小倉旦過のTATOPANIというカレー屋さんでランチ。
このお店、以前から色々な舞踏公演やライブや打上げなどで使われているようだったので気になってて行ってみました*
ヨーグルトチキンカレーは辛くないので子どもたちでも食べられました
その後小倉駅北側にあるAIM3Fの子育てふれあい交流広場のプレイゾーンへ行ってみた。
こった遊具がたくさんあって子どもの遊園地のような施設です。
管理員のひとが中にけっこういて「そこから飛び込んだら危ないからやめてね!」と注意したりとか、迷子になってる子どもの親を探してくれたりしていた。
利用者が多くてけがする子どもが出ないために仕方ないのだろうけれど、かなり細かいことまで注意せざるを得ない事態になっているのはあまりよくないように思えた。
ルールを教えることも大事だけれど、
すべり台をさかさからのぼることや、車を走らせるレールにボールを流してみること そういうことを完全に排除してしまうとこどもが新しい遊びを生み出すことができないように思う。
遊びが流れ作業になってしまうように思う。
***
その後若松のえびす祭りで原人仲間のかきうちみきが五平太ばやしで太鼓を叩くというので見に行った
木樽と木槌を使う太鼓は初めてみて新鮮だった。
水門が開くのを待つ間ふなばたを叩いて流行歌を歌っていたのが始まりだったそう。
太鼓が盛り上がっていくところではまわりを巻き込んでいくような一体感がおこってくる
ひとはああいうとき何にむかって一体感を感じて惹きつけられるのだろう
***
次の日は友人と友人の子ども達といっしょにいとうづの森公園へ。
この動物園に行くのは久しぶりだった。
地図を片手に走り回るこどもたち。
なかで「AFRICA・神話の世界の動物たち」という展示をやっていて、
すごいよくてはまってしまった。
アフリカの仮面、民族衣装、踊りのビデオ、どれもものすごいパワーがあってぐっと惹きつけられる。
売店でもいいものがたくさん売ってあってあれもこれも欲しくなってしまったけれど、
闇とたたかう「ひかり」をあらわす精霊の仮面のストラップを買った。
いとうづの森で働いているともだちのぶんちゃんにも逢えた
ぶんちゃんはキリンやシマウマの飼育をしているのだそう
「シマウマのお父さんが子どもを守ろうとしてキリンに攻撃するからいまは柵で仕切って別々にしてあるんだよー」とか
「フラミンゴが地面に寝ているよ。ああするのは珍しいんだよー」とか
いつもみているひとでないと知らないことを色々おしえてくれて嬉しかった
子ども達にクワガタのカードとか象の絵のポストカードもくれてそれも嬉しかったけれど、なによりもぶんちゃんの笑顔がみられたことがうれしかった
友だちと芝生でのんびりあれこれ話ができたのもよかった
これからもいろいろ話しながら子どもともども仲よくやっていきたいな?と思った
桜が青空に映えてきれいだった
***
そして、いとうづの森からほど近いつかのみきさんのお家へ遊びに行った。
かきうちみきと待ち合わせて。
つかのさんはダンサーで一歳の息子さんがいます。
行くまではドキドキだったけれど、和やかでたのしい時間を過ごさせてもらった。
美味しい手作りのパンをたくさんごちそうになって、パンのことや踊りのことなどお話しして。
その間まわりで遊びまわる子ども達。
楽しそうだったのはよかったけど、うちの娘が息子さんをひっかいて顔をけがさせてしまったのが申し訳なかった・・
パン作りのことも色々おしえてもらったのでこれから少しずつ試してみたいなと思いました♪
そして北九州をあとにした
やっぱりわたしにとって北九州はかけがえのない大事なところ
今回逢えなかったひとにも次は逢えるといいな!!
熊本での旅につづく。
さぁ、きょうから息子は幼稚園がはじまるぞ~
きょうも一日をはじめていこう
おとといの夜は福岡の西南学院大での「七つのピアソラ」ライブに出かけてきた
わたしが見たそのライブの告知文は以下のようなもの。
・・・
「七つのピアソラ」ツアー
http://
書家・乾千恵がピアソラへの思いを渾身に綴った画文集「七つのピアソラ」。
http://
そこから広がった「千恵」の輪のアーティスト達による無二のライブ!
出演:
ジャン・サスポータス(ダンス)
オリヴィエ・マヌーリ(バンドネオン)
齋藤徹(コントラバス)
ゲスト:トリオ・ロス・ファンダンゴス(いわつなおこ、秋元多惠子、谷本仰)
※ダンスのジャンは23日東京で千秋楽だったピナ・パウシュの「ヴッパタール舞踊団」に出演のため来日、その後この「日本の仲間」とのツアーに参加。
※世界的に活躍する齋藤徹のコントラバスは、弦楽器であり、打楽器であり、歌うクジラであり、疾走する馬である。
ピアソラをテーマに、しかし即興的な、何が飛び出すか判らない一夜だけの空間です。
九州では福岡公演のみ!逃すともう無い機会!
・・・
これはどうもやばめなライブだぞ~~という予感を受けとり行って参りました!
息子は親戚にあずかってもらい、娘だけ連れて行きました。
ライブ後半は娘をtaniseさんがロビーでみていてくださってライブを堪能させてもらいました
ひとのご厚意でわたしが音楽やダンスに触れる素晴らしい時間を過ごせること
ほんとうにものすごくありがたく、
この感謝をなにか別の形で返していきたいと切に感じました
そしてライブについてですが、
もうほんっとうに素晴らしかった
その場に存在できたことを幸せだと思えるライブ、なかなかないことでした
オリヴィエ・マヌーリさんのバンドネオンと齋藤徹さんのコントラバスは時に打楽器にもなりながら呼応して展開していく
ジャン・サスポータスさんのダンスは、「気」が研ぎ澄まされていて、踊り始めた瞬間に空気がものすごい変容をおこす。
かといって大げさなものでなく、
ありとあらゆるものを越えたひとだからこそたどりつきうる「ありのまま」の踊りのように感じた。
それぞれの曲の背景になるテーマもなにも知らず聴いているのに、
「音そのもの」「からだそのもの」のつくりだすなにかにひっぱられひきつけられ、
そして思わぬ幕切れにハッと胸をつかれる
頭で考えるのでなくからだで感じられる世界
後半はゲストのトリオ・ロス・ファンダンゴスが入り、
躍動的な音が踊り、遊び、ぐんと体感的に音が胸に迫ってくる
日々磨かれている技術に裏打ちされてこその「自由」さ
みていて何度も涙がながれてしまった
「このひとたちみたいな大人になりたい」と思った
そして、みていて突然頭に湧き上がってきた言葉があった
「表現は吹き抜ける一陣の風である」
吹き抜ける風や、金色の雨や、低くたれこめた曇り空には言葉はなく説明はなくただありのままにダイナミックにそこにあり、
でもそのもので完全に極まっていてうつくしい
「これを表現するんだ」なんてことじゃない
風そのものが与えるもの
それを受けとったように感じたのだった
アンコールを求める拍手は心から「どうかもう一曲!」と思い求める気持ちだった。ほかのお客さんも同じ気持ちだったんじゃないかな
「もう少しだけでもこの完全に満ち足りて溢れた場が続いて欲しい、聴かせて欲しい」と思った
終演後の受付の売り場のお客さんの熱気も「この感動をなにかの形で持ち帰りたい」という気持ちだったのじゃないかな
わたしもそういう気持ちでなにを買い求めるか考えたすえ、「月つき人ひと石いし」という乾千恵さんの書が入った絵本を持って帰ることにした
その絵本の「風」のページにはこう書いてあった
「かぜが きのうを きょうにつなぐ」
NHK朝ドラの「ちりとてちん」を最近ずっと観ていて、それが昨日終わった。
上方落語界で初めての女流落語家として色々な出来事を乗りこえて成長していく主人公の姿。
最終的に主人公は子どもが出来て落語の常打ち小屋が完成した時点で
落語家としてでなく「おかみさん」として生きていくことを決意した。
わたしはそれを観て、「あぁやっぱりそれを選ぶのか」
と初め「やはりそれが誰もが納得できる結論なのか?」と
自分に照らして胸が痛くなってしまったのだけれど、
ちがう見方で主人公の決断を見つめてみた
主人公は物語の終盤で、
「自分がこのまま創作落語を続けていくことがほんとうに上方落語を継いでいくということなのか?」
という問いを持っていた。
そして「おかみさん」「母親」として継いでいくことを選ぶのだ。
そして、自分に照らして考えたことは、
「ただ色んな場所で踊るというだけを続けていても私は自分の本当の目的は達成できないだろう」ということ、
そして
「『わたしが継ぎたいこと』はなんなのかを明確にしなくちゃいけない」ということだった。
恥も外聞もなく書いてみよう
わたしが継ぎたいこと
・藤條虫丸さんや田中泯さんのように、農と踊りを同時におこなっていくこと
・臍下丹田を中心とした身体の使い方と呼吸を基本としたからだの在り様を突き詰めて伝えていくこと
・自然のリズムとともに誰もが生きられる方法を探していくこと
・「なにももたない庶民」が生き残ってなにがしかの自由を手にして生きていく道を探ること
・「地方」や「田舎」を元気にしていくこと
・多民族が共生するための道を拓くことに関わっていくこと
目先のことに捉われずにちゃんと遠くの目標を見据えて
日々すこしずつ願晴って歩いていこう と思う
結果的にまわりからみれば「おかみさん」として表舞台にあがることない生き方になったとしても、
ほんとうの目標をみすえてそのために生きることができさえすれば、
自分の名前が世に出なくてもかまわないのだと思う。
機会があればこれからも人前でも踊っていきたいけれど、
それはあとでついてくることなんだ。
裏方さんがいてくださってはじめて舞台に立てることを忘れちゃいけないと思う
大学時代に舞台照明をやってた時は舞台に立つのとはまたちがう喜びがあった
「ひかりをあてる」という視点をなにをしていても忘れたくないと思う
その準備で先日沖縄に夫が行っていたのですが、そのとき出逢ったというカクマクシャカという地元・沖縄を中心に活動するラッパー・ミュージシャンの曲を夫が何度も「聴いてみて」というので、料理の合間にどんなものかなーとさほど期待せずに観てみたら、
涙が、どっと溢れてしまった
それは2004年8月に起きた沖縄国際大学米軍ヘリ墜落事故に抗議してつくられ無料配布された曲で、わたしがみたのは2007年に辺野古で行われたライブの映像だった
辺野古ではいまジュゴンが棲んでいる海を埋め立てて米軍基地がつくられようとしている
DUTY FREE SHOPP.×カクマクシャカ「民のドミノ」in 辺野古
http://
歌詞はこちらです(フリーダウンロードもできるようです)
http://
怒りの臨界点ギリギリの所で叫んでいるようだと思った
もう「うた」という形は越えて、
怒りという感情そのものに肉迫しているように
ラップであればそれが可能になるのだと感じた
沖縄国際大学にヘリが落ちた2004年の夏、日本のメディアはアテネオリンピックに夢中で、
そしていま2008年、北京オリンピックを前にしてチベットで暴動が起き、多くの市民や僧侶が殺され拉致されている
『平和の祭典』って 一体誰にとって?
中国に長い間踏み躙られてきたチベット、
チベットの人たちはとうに怒りの臨界点を越えてしまった
『ほんとうは怒りたくなんかないのに』
ダライラマ14世は言う
『私は彼らを友人だと思っているんですがねぇ』と
カルチャークリエイティブという米国で活発になっている動きについて「100万人のキャンドルナイト」を始めた辻信一さんが最近紹介している
米国の主軸であった近代主義と伝統主義に加え、CCは「第三の潮流」であるという。
それは「もうひとつの世界」の可能性を提示する動きで、
日本はその言葉を輸入する時にソトコトという雑誌がLOHASという言葉にかえて、その言葉の意味がかなり狭まってしまったらしい。
今までロハスという気取った響きにどうも共感できず、
ラブアンドピースという言葉はどこか嘘くさく感じてきた。
だけど、「カルチャークリエイティブ」という言葉なら受けとめられるような気がしている
怒りの臨界点 そして 涙の臨界点
わたしはカクマクシャカの叫びを聞いて涙を出してしまったけれど、
ほんとうは簡単に泣いてしまってはいけないんだ
泣いてすっきりしてしまってはいけないんだ
溜め込んで、沈静して、そして自分だけのフィルターを通して、
『ちからを抜いて、呼吸して』
なにかを つくらなくちゃいけない
カクマクシャカは私の二歳年下、夫と同い年
何年かすればわたしはもう若者の範疇から外されてしまう
いまできるかぎりあがかなくてどうする
道を探るんだ じぶんだけにできる方法を じぶんだけのやり方で
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コンサートの演奏家やダンサーは南フランスのシャイヨールで開催される夏の音楽祭(シャイヨール・フェスティバル)でも定期的に演奏・参加しているのだそうです。
音楽家たちは、南フランスのシャイヨールの人々との高品質で、しかも演奏者と聴衆の距離が近い(親しみのある)大衆文化を守っていこうという考え方を貫いているのだと。
本当の実力があって研鑽を重ねてきたプロの音楽家やダンサーが
気楽に音楽に触れる場をつくることに意欲を持って取り組んでいること
それが今日の鹿児島でのコンサートでも感じられて、そのことに感動した
ほんとうにいい音楽が誰にでも受け取れるかたちで開かれていること
それは 喜びへつながっていく
もしかしたら、また今年の秋もしくはその次の年に彼らが鹿児島に来る時に一緒になにかつくる機会をつくれるかもしれない。
わたしもわたしなりの速度で着実に歩んでいかなくてはいけないなと思う
3/2に鹿児島市内のドルフィンポートと天文館で、
ソロダンスを5分程度ずつ踊らせてもらうことになりそうです。
鹿児島パフォーミングアーツという団体が主催する3/7のイベントの告知を目的としたミニイベントです。
いまどんな内容にするか考え中。
明るめの雰囲気で、とのことだったのでそのコンセプトでつくってみることに。
願晴りたいなと思う むりせずに。
虫丸さんWSの練習メニューをちゃんと日々できるようにいま文章にまとめてるとこなのだけど、
きょうはもう寝ることにしよう
むりせず、
またあした!
そのグループのメンバーであるビヨンセにはまりました。
それはこのPVを観たからです。
Beyonce 「Deja Vu」
http://www.youtube.com/watch?v=nGJlLQG-mWQ
なにげなくみたらすごい衝撃を受けて「うおおー踊りてええーー」と血がたぎるような感覚になりました。
なんというか、野生の感覚をいけるところギリギリまで掘り出した踊りに感じたのです。
真似してこんな風に踊りたいとは全く思わないけど、こんな風に自分の野生をつかみとりたいと思いました。
ものすごくかっこいいと思っていたけど、ビヨンセはアメリカの超メジャーなセレブとか言われている有名人だし誰がみてもこれはかっこいいと受け入れられやすいものなのだろうから、私がわざわざ紹介しなくてもいいだろうと思っていました。
ところが、今日ふと久しぶりに動画をみてみて「やっぱりかっこいいな~」と思い、「誰が振り付けしてるんだろう?」とグーグルで調べてみたら、このPVは賛否両論で、アメリカでは振り付けを変えての撮りなおしを求める署名運動まで起こっていたのだそうだ。
日本での批判は「アホの坂田」の振り付けに似てる、パクリだ!というどーでもいいものだったようだけど、
アメリカでの批判は「膝から歩いているのがけしからん!」とか「衣装もおかしいしJay-Zという恋人でもあるラッパーとのからみもあるため娼婦のようだ」などという批判らしい。
うーーん納得いかん!!
と私は思った。
そしてさらに調べていると、この曲が入っているアルバムをビヨンセは自分の人種をあらわすクレオールをキーワードにして作成したのだということだった。
クレオール(creole)とは「植民地生まれ」という意味で、それが徐々に「白人と黒人の混血」とか「混ざったもの」「雑種」といいう使われ方が一般的になり、さらには「異なる文化が混合したもの」という意味でも使われるそう。
それらの記述を読んで、ビヨンセは自分自身を自由に押し出してこのPVを作ろうとしたのではないだろうかと感じた。
その事実関係は実際の所私にとってどちらでもいいのだが、
思うところを本当に突き抜けて表現しつくせば必ず拒否反応というのは周りから多かれ少なかれ起こってくるものなのだろうな と感じた。
だけど、たぶんそうやって突き抜けたものだけが、
じつは世界につめあとを残していく 証をのこしていく のではないか
怖れてばかりいては駄目だな
と感じたのだった
