胸のつかえがとれた日
きのう、自分のこれからの行く先について考えていて、
やっと答えのようなものがみえたように感じた。
答えというか、『夢』のビジョンみたいなものがみえた気がした
母親としても中途半端で、
踊り手としても中途半端で、
妻としても中途半端、
染織りを始めたいけれど不器用、
そんなわたしをこれまで自分でさげすんできた所があったのだと思う
だけど実は、「母」も「踊り手」も「妻」も「染織家」もただ人を分類分けするためのカテゴリーに過ぎなくて、
わたしは『まさやん(masayang)』という道を行くしかなくて。
そして降りてきた言葉は 『光と闇を織る者』
ただそのために日々歩いていこう、
誰かにとってはなはだ中途半端なやり方にしか見えなくても
ちゃんと自分に道がみえていれば、歩んでいける
それがみえたら、これまで胸の中にずっとつかえていて息を吸いにくくしていたものがすっかりなくなっていた
吸気がすーっと胸の中に入っていく
この感覚は初めてだった
もしかしたら生まれて初めてかな
昨日に比べるとまた吸気の通りがまた少しわるくなっている
不安が生まれたり、自信が揺らいだりしてくるから。
でも前ほどじゃない
この感覚を忘れないように書き留めておきたくて書いています
ここからは「自分の道をみる場所に戻ること」
「自分の中心に常に戻るようにすること」
「力が入って固まっているからだの力を抜いていく方法を探ること」
に入っていこうと思います
やっと答えのようなものがみえたように感じた。
答えというか、『夢』のビジョンみたいなものがみえた気がした
母親としても中途半端で、
踊り手としても中途半端で、
妻としても中途半端、
染織りを始めたいけれど不器用、
そんなわたしをこれまで自分でさげすんできた所があったのだと思う
だけど実は、「母」も「踊り手」も「妻」も「染織家」もただ人を分類分けするためのカテゴリーに過ぎなくて、
わたしは『まさやん(masayang)』という道を行くしかなくて。
そして降りてきた言葉は 『光と闇を織る者』
ただそのために日々歩いていこう、
誰かにとってはなはだ中途半端なやり方にしか見えなくても
ちゃんと自分に道がみえていれば、歩んでいける
それがみえたら、これまで胸の中にずっとつかえていて息を吸いにくくしていたものがすっかりなくなっていた
吸気がすーっと胸の中に入っていく
この感覚は初めてだった
もしかしたら生まれて初めてかな
昨日に比べるとまた吸気の通りがまた少しわるくなっている
不安が生まれたり、自信が揺らいだりしてくるから。
でも前ほどじゃない
この感覚を忘れないように書き留めておきたくて書いています
ここからは「自分の道をみる場所に戻ること」
「自分の中心に常に戻るようにすること」
「力が入って固まっているからだの力を抜いていく方法を探ること」
に入っていこうと思います
トラックバック(0)
このブログ記事を参照しているブログ一覧: 胸のつかえがとれた日
このブログ記事に対するトラックバックURL: http://kanri.geo.jp/mt/mt-tb.cgi/30

コメントする