怒りの臨界点で 沖縄、そしてチベット

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夫がもうすぐ沖縄からバイオディーゼル車で全国をキャラバンしながら自然学校を開催しつつ北海道の洞爺湖サミットを目指すという仕事に入ります。

その準備で先日沖縄に夫が行っていたのですが、そのとき出逢ったというカクマクシャカという地元・沖縄を中心に活動するラッパー・ミュージシャンの曲を夫が何度も「聴いてみて」というので、料理の合間にどんなものかなーとさほど期待せずに観てみたら、

涙が、どっと溢れてしまった

それは2004年8月に起きた沖縄国際大学米軍ヘリ墜落事故に抗議してつくられ無料配布された曲で、わたしがみたのは2007年に辺野古で行われたライブの映像だった

辺野古ではいまジュゴンが棲んでいる海を埋め立てて米軍基地がつくられようとしている

DUTY FREE SHOPP.×カクマクシャカ「民のドミノ」in 辺野古
http://www.youtube.com/watch?v=Kfx-WUh4E4g&feature=related

歌詞はこちらです(フリーダウンロードもできるようです)
http://akagawara.com/sp/tamino_domino.html


怒りの臨界点ギリギリの所で叫んでいるようだと思った
もう「うた」という形は越えて、
怒りという感情そのものに肉迫しているように
ラップであればそれが可能になるのだと感じた


沖縄国際大学にヘリが落ちた2004年の夏、日本のメディアはアテネオリンピックに夢中で、
そしていま2008年、北京オリンピックを前にしてチベットで暴動が起き、多くの市民や僧侶が殺され拉致されている

『平和の祭典』って 一体誰にとって?

中国に長い間踏み躙られてきたチベット、
チベットの人たちはとうに怒りの臨界点を越えてしまった
『ほんとうは怒りたくなんかないのに』

ダライラマ14世は言う
『私は彼らを友人だと思っているんですがねぇ』と


カルチャークリエイティブという米国で活発になっている動きについて「100万人のキャンドルナイト」を始めた辻信一さんが最近紹介している

米国の主軸であった近代主義と伝統主義に加え、CCは「第三の潮流」であるという。
それは「もうひとつの世界」の可能性を提示する動きで、
日本はその言葉を輸入する時にソトコトという雑誌がLOHASという言葉にかえて、その言葉の意味がかなり狭まってしまったらしい。

今までロハスという気取った響きにどうも共感できず、
ラブアンドピースという言葉はどこか嘘くさく感じてきた。

だけど、「カルチャークリエイティブ」という言葉なら受けとめられるような気がしている


怒りの臨界点 そして 涙の臨界点

わたしはカクマクシャカの叫びを聞いて涙を出してしまったけれど、
ほんとうは簡単に泣いてしまってはいけないんだ
泣いてすっきりしてしまってはいけないんだ

溜め込んで、沈静して、そして自分だけのフィルターを通して、
『ちからを抜いて、呼吸して』
なにかを つくらなくちゃいけない


カクマクシャカは私の二歳年下、夫と同い年

何年かすればわたしはもう若者の範疇から外されてしまう

いまできるかぎりあがかなくてどうする



道を探るんだ じぶんだけにできる方法を じぶんだけのやり方で


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