わたしがナチュラルであるということ

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いま夫の職場のひとつである馬事公苑にWWOOF(ウーフ、住み込みで仕事をして食事と住む場所の提供を受けるもの。お金を介さないやり取りで成立する)で韓国人のソンちゃんという女の子が来ている。
ソンちゃんは日本語がとっても上手。

昨日はそのソンちゃんがフリータイムということで、彼女とうちの家族で坊津の海辺にある塩工房に遊びに行ってきた。

「坊津の華」というお塩を作っているその工房は、日高さんというご夫婦が営んでいるもの。
電気もなにもない草原を自分たちで拓いて、建物も自分でたて、塩作りも他人について習うことなく自分達流で方法を作り上げていったのだそう。

この場所にいると不思議ととてもこころが和む。
日高さんご夫婦の人柄のあたたかさ、しなやかさがその場にひたひたと満ちているようで、塩を焚きあげるための薪を燃やす火がたえることなくそこにあって、ゆっくりと何日もかかって出来上がっていく塩のうつくしさを感じて。


工房の近くに生えているかずらでクリスマスリースを作らせてもらった。夫は一輪挿しの籠も編んでました。

太さがそれぞれちがうかずらをまとめて、ひねったり絡めたりしながら円にしていく

でこぼこしたものをそのままで絡めていく面白さ。

以前から織物をやってみたいという気持ちがあって卓上織り機を通信講座でやろうとしたけど、子どもがもう少し大きくなってからにしようと、いまは押入れにしまっている。

やっぱりいつかはまた織ることをしてみたいな と思った。


夜はその場所で鍋をしてもらうことになり、
みんなであれこれ準備してあたたかい鍋を囲んで、いっぱい食べて、お話して。
誰もがそこでみんながいい時間を過ごせるように心を砕いていて、そんな時間。

わたしはそのことにとても泣きたいくらい感動していて、
でもやはり完全にはやすらげない自分もいて
そのことに哀しさを感じた


たぶんわたしには踊らなければ埋められないものがあるのだろうと思う

そしてそれはそれでかまわないのだろうと思う

日高さんの奥さんが
「やりたいことなんでもやってみたらいいのよ、ナチュラルに」
と言った

大切だと思うものをつくるため力を尽くして、やれるだけやって やさしいもので出来るだけ心を満たして、
そしてそれでも心の中にあるさみしさ やりきれなさ
それはあったっていいんじゃないか 

帰りに寄った温泉で露天風呂に入っているときソンちゃんが
「なにかを知りたいと思い続けていればそれは知ることができると思います」
と言ってくれた

こたえはシンプルなこと

それはしっていて それを受け入れるのは 最終的に意思と勇気によること

わたしの目指したい暮らしのかたち 半農半芸というもの。

一緒に暮らすことを考えていたみちちゃん親子との暮らしに終止符を打つ中で、
自分があらゆる人を大きい愛で包むようなラブアンドピースの精神を持つというのとはちがう道を行くのだなと感じた。
もっと沈静したもの ひとりの静けさが基礎となったもの そこからはじまるもの

それは実はまるでちがうものではないのかもしれないのだけど


いまはわたしはもっとひとりにならないといけない

それが必要なことなのだろうと思う


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このページは、masayangが2007年12月11日 06:28に書いたブログ記事です。

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