タンガ大劇場へ
10月7日に北九州の旦過市場へ芝居を見に行った。実家から日帰りで。
水族館劇場という東京の劇団の「さすらい姉妹」の旦過市場裏街での芝居と、名古屋のバリ舞踊団のリバーウォークでの公演・アーケード街での練り歩きがその内容だ。
街に非日常を出現させる
そうすることでどんな化学反応が起きるのか
風邪気味だったが、
それを目撃しにいかなくてはと当日朝に決断し、
とるものもとりあえず小倉に向かった(というか親の用事に便乗して向かってもらった)。
リバーウォークに着き、バリ舞踊の二回目の公演に間に合った。
久しぶりに会う人たちと言葉を交わす。楽団の方たちの華やかさはあるものの、舞台はその空間にあまり不自然さがなく存在しており、まだ見る限り非日常はあまり出現していない。
舞台に使われているパンチ(布)のテープの貼り合わせ方がきれいになっていないのが気になった。私は演劇で裏方をしていた経験があるためそういう細かい所が気になってしまう。そういうどうでもいいことを気にさせないよう整えるのも裏方の仕事の一つのように思う。
バリ舞踊が始まった。
踊りも演奏もレベルが高いように見えた。
衣装が蝶のように華やかに舞い、踊り子の笑みに惹き付けられ目がくらむよう。
だが、リバーウォークにいることによるちょっとした空しさが胸の中にあった。
息子がじっと黙りこくって踊りをぼうっと見ているので、知人が息子をそばの池の鯉のえさやりに連れ出してくれた。いりこを鯉にあげて目が輝く息子。
それを見てわたしは「大切なのはこういうこと」と思った。
お行儀よく椅子に座ってじっと見てる人だけじゃなくていい。
いりこを鯉に投げたり、いりこを食べたりしてもいい。友人と込み入った話をしてもいい。
そのそばには音楽が踊りがあって無関係じゃない。
観ている人が自分を生かしたままそこにいられる。わたしはそういうものの一部でありたい。
しかし、バリ舞踊の最後の踊り(おそらくトペン・トゥアという踊り)は後ろから見て「あ、これは前から見ないといかん、ヤバイ、もったいない」と思い舞台前方に移動した(友人によると踊っているのはその舞踊団の先生だったそう)。
その踊りは派手ではないのだが、ちょっとした手の動きなどから暗闇に似た異次元を生み出しているように見えた。異様。
ほんの少しの動きから踊りは異次元を引き起こすこともできる。だから私も踊りから離れたくないのだろうと思った。
公演が終わり練り歩きが始まる。
なり続けるガムランと舞踊、
その後ろについて旦過市場へぞろぞろいっしょに歩いていく。
橋の真ん中で止まり踊る踊り子に吹き付ける風、舞い踊る衣装、撒き散らす花びら、高揚感。
信号待ちでおどけて踊る踊り手。
アーケードの中でわんわんと反響するガムランの音。
友人と話していた携帯電話の音声が聞こえなくなる。
目の前のものしか見えないし聞こえない。
旦過の目の前の信号待ちで自転車押してるおばちゃんに
「赤ちゃんにこんな薄着させてから!バスタオルくらい持っとかな!」とお説教される。子どもに着せるものはその時母に入手してもらってきてたとこなので反論したい点もあったが、なんにしろ他人に色々世話焼いてくれる人がいる街のほうがわたしは好きだ。
タンガ劇場に着いたときにはすっかり夜になり、裏街の蛍光灯の白い光が頼りなく人たちを浮きださせる。
段ボールの客席に身を寄せ合って座っていく。
前座での三線の演奏。少し哀感がある曲調がその路地裏に似合っていた。
開演。
さすらう人々の慟哭から始まった。
始まってすぐに私の娘が泣き出して客席を出て前の通路にいたので芝居の内容は結局よくわからないまま終わってしまった。
ただ、観ていて感じたことは、このお芝居の中の人たちのように私もお客さんの誰もがさすらっているんだなということだった。
さすらってたまたまこの路地に辿りついて居合わせた、その点では同じなんだなと。
そう感じられただけで私にとってはよかった。
北九州のみなが劇場を作り上げるためにできることをしあっている姿を見て、自分が北九州で活動に全身で加担できないことを少し寂しくも思ったけれど、
一緒にやることはできなくても見に来るだけでもなにか少しはなせたのだと思うことにした。
そして、私は私の場所で何かを作っていこうと思った。
残念だったことは、友人のかきうちみきと旦過で踊れなかったこと。
かきうちはガムラン隊がリバウォに向かったあとに
ひっそりとタンガの舞台で踊ったのだという。
あの路地で紫川原人のおたけびをあげて段ボールを踏み鳴らしたかった。
同じ機会は二度と来ないが、めぐり巡ってその想いをべつの形で叶えたいと思う
水族館劇場という東京の劇団の「さすらい姉妹」の旦過市場裏街での芝居と、名古屋のバリ舞踊団のリバーウォークでの公演・アーケード街での練り歩きがその内容だ。
街に非日常を出現させる
そうすることでどんな化学反応が起きるのか
風邪気味だったが、
それを目撃しにいかなくてはと当日朝に決断し、
とるものもとりあえず小倉に向かった(というか親の用事に便乗して向かってもらった)。
リバーウォークに着き、バリ舞踊の二回目の公演に間に合った。
久しぶりに会う人たちと言葉を交わす。楽団の方たちの華やかさはあるものの、舞台はその空間にあまり不自然さがなく存在しており、まだ見る限り非日常はあまり出現していない。
舞台に使われているパンチ(布)のテープの貼り合わせ方がきれいになっていないのが気になった。私は演劇で裏方をしていた経験があるためそういう細かい所が気になってしまう。そういうどうでもいいことを気にさせないよう整えるのも裏方の仕事の一つのように思う。
バリ舞踊が始まった。
踊りも演奏もレベルが高いように見えた。
衣装が蝶のように華やかに舞い、踊り子の笑みに惹き付けられ目がくらむよう。
だが、リバーウォークにいることによるちょっとした空しさが胸の中にあった。
息子がじっと黙りこくって踊りをぼうっと見ているので、知人が息子をそばの池の鯉のえさやりに連れ出してくれた。いりこを鯉にあげて目が輝く息子。
それを見てわたしは「大切なのはこういうこと」と思った。
お行儀よく椅子に座ってじっと見てる人だけじゃなくていい。
いりこを鯉に投げたり、いりこを食べたりしてもいい。友人と込み入った話をしてもいい。
そのそばには音楽が踊りがあって無関係じゃない。
観ている人が自分を生かしたままそこにいられる。わたしはそういうものの一部でありたい。
しかし、バリ舞踊の最後の踊り(おそらくトペン・トゥアという踊り)は後ろから見て「あ、これは前から見ないといかん、ヤバイ、もったいない」と思い舞台前方に移動した(友人によると踊っているのはその舞踊団の先生だったそう)。
その踊りは派手ではないのだが、ちょっとした手の動きなどから暗闇に似た異次元を生み出しているように見えた。異様。
ほんの少しの動きから踊りは異次元を引き起こすこともできる。だから私も踊りから離れたくないのだろうと思った。
公演が終わり練り歩きが始まる。
なり続けるガムランと舞踊、
その後ろについて旦過市場へぞろぞろいっしょに歩いていく。
橋の真ん中で止まり踊る踊り子に吹き付ける風、舞い踊る衣装、撒き散らす花びら、高揚感。
信号待ちでおどけて踊る踊り手。
アーケードの中でわんわんと反響するガムランの音。
友人と話していた携帯電話の音声が聞こえなくなる。
目の前のものしか見えないし聞こえない。
旦過の目の前の信号待ちで自転車押してるおばちゃんに
「赤ちゃんにこんな薄着させてから!バスタオルくらい持っとかな!」とお説教される。子どもに着せるものはその時母に入手してもらってきてたとこなので反論したい点もあったが、なんにしろ他人に色々世話焼いてくれる人がいる街のほうがわたしは好きだ。
タンガ劇場に着いたときにはすっかり夜になり、裏街の蛍光灯の白い光が頼りなく人たちを浮きださせる。
段ボールの客席に身を寄せ合って座っていく。
前座での三線の演奏。少し哀感がある曲調がその路地裏に似合っていた。
開演。
さすらう人々の慟哭から始まった。
始まってすぐに私の娘が泣き出して客席を出て前の通路にいたので芝居の内容は結局よくわからないまま終わってしまった。
ただ、観ていて感じたことは、このお芝居の中の人たちのように私もお客さんの誰もがさすらっているんだなということだった。
さすらってたまたまこの路地に辿りついて居合わせた、その点では同じなんだなと。
そう感じられただけで私にとってはよかった。
北九州のみなが劇場を作り上げるためにできることをしあっている姿を見て、自分が北九州で活動に全身で加担できないことを少し寂しくも思ったけれど、
一緒にやることはできなくても見に来るだけでもなにか少しはなせたのだと思うことにした。
そして、私は私の場所で何かを作っていこうと思った。
残念だったことは、友人のかきうちみきと旦過で踊れなかったこと。
かきうちはガムラン隊がリバウォに向かったあとに
ひっそりとタンガの舞台で踊ったのだという。
あの路地で紫川原人のおたけびをあげて段ボールを踏み鳴らしたかった。
同じ機会は二度と来ないが、めぐり巡ってその想いをべつの形で叶えたいと思う

コメントする