前半はマクロビレストランの作楽さんでライブ、
後半はお店の近くの公園(多分探勝園)で野外練り歩きライブ になりそうです。
藤條虫丸さんと佐野眞紀子さんという二大ダンサーの競演は必見です!
9月28日(日) PM7:00?
【出演】
肉体天然詩人藤條虫丸
佐野眞紀子(ダンサー)
ZAK(民族楽器)
セキト?(舞踏)
まさやん (即興舞踏)
【チャージ】1500円
【会場】オーガニックレストラン「作楽」鹿児島市城北町 照国神社近く
【問合せ】099ー223ー6326(作楽)
秋の公園の空気の中で一緒にたたずんでみませんか
お逢いできたら嬉しいです!!
とても内容が濃い一日でした。
塩の出店では色んな人とお話しし塩も買っていただいて、
初出店ということで反省点は色々とあるのですが、
これからにつながるいい機会をいただいたと思っています。
雨の日だったので屋内でのイベントになったのですが、それはそれで密度が濃くていい雰囲気でした。
ライブの出演は、
共演したのは井上大輔さんとつじさん。
大輔さんは今回は天吹という鹿児島の伝統的な竹笛やアイリッシュハープを吹いてくださいました。
つじさんは屋久島在住のブルースギター奏者です。
屋久島在住の肉体天然詩人の虫丸さんともよく共演されている方です。
赤い衣装を着て白塗りをし、
うちの庭の藪に絡んでいた蔓を引っぱりだして持って行って体に巻いてひきずり、
森のがっこうの木に咲いていたピンクがった白い花を片方の手のひらに乗せて、
彼岸花を二本片手に握って
夕刻、大きなクスノキのある庭から、ステージのある校舎へと歩いていきました
歩いていく途中に、みていた子ども達が「怖い」「お化けみたい」「なんでこんなことしよるかあんた聞いてみ」「嫌やー」 などと話しているのが聞こえる。
子どもはちゃんと感覚的にわかっているなと思った
わたしは 彼岸を 歩いていた
つるを舟のように引っ張ったり、担ぎ上げたり、背負ったりした
彼岸花は絡み合いたかった
契りが欲しかった
ずっと一緒に いたかった
それでも 不意に ふっと 平行に 離れた
わたしは花だけをもって、立ち上がった
私にみえたのは、目の前のお客さんたち 生きている人たち だった
わたしは『みんながいないと生きていけないよ』 と思った
そして、終わった
出演が終わったらイベントを抜けさせてもらって、隣町の知覧町のソラヨイという十五夜行事を観に行った。
国指定無形文化財になっているもの。
日本のものとは思えない扮装で催されるソラヨイ。
こんなものです↓
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唄をうたいながら子ども達がぐるぐる回るのだが、唄と唄のあいだにかなりながい「静寂」の時間があって、それがぞくぞくするほどよかった
月明かりに唄だけ響く静寂の中で行われるのが本来のソラヨイなのだろう
実際は、雨の日だったので月が出ず電灯がこうこうとたかれ、
見ているギャラリーのカメラのストロボが絶え間なく光り話し声が聞こえる
『邪魔だ』 と思った
唄い回る子ども達の真中にわらの家のようなワラコズンというものがあって
回る方向が二回目の唄いで反対方向になることの深遠さ
最後にその大きな存在が子ども達に打ち倒されることの意味とはなんなのか
非常に興味深いものだった
こんなソラヨイも後継者不足に直面しているらしい。子どもが少ないのだ。
あらゆる民俗芸能が直面しているか、もしくは既にその事態が来て消滅してしまったりもしている。
失ってしまったら、
おそらく いつか困るのではないかと 思った。
その土地その土地の自然とどう付き合っていくかということ、
その知恵が民族芸能には濃縮され残っているのではないかと思うのだ。
それを一旦完全に忘れてしまったら、取り戻すことは容易ではない。
金は はかない
人間は最終的にはその土地の風土に立ち帰るしかないのだと、私は思う。
その時に知恵が失われていると、つながりたいと思っても方法がわからず、糸が切れた凧のようにさまようしかなくなるのだ
それは恐ろしいことではないだろうか?
その時は着実に近づいているのではないかと思う
イベントが終了したら 森の静寂の中を 歩いた
ずっと ずっと
歩いていることと踊っていることが一体になっていくように
時を うしなってしまうように
いい、時間でした
黒潮農場というのはわたし達が始動させた塩工房の屋号。
HPも近々オープンします
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「地球(ほし)の塩」、初陣です。
森のがっこうは廃校になった小学校を使った多目的スペースで、
広々とした芝生に大きなクスノキがシンボル的に立っている気持ちのいいところです。
イベントは11時からで、16時からライブです。
イベントでは色んなワークショップや出店があります。
私達は手作り天然塩の販売と、塩作りワークショップ開催の予定です*
寝具等持っていけば宿泊もできるそうです。
パスが1000円で、中学生以下は無料です。
このHPにチラシがのっていました*↓
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ライブでは薩摩琵琶等の奏者の井上大輔さんと共演することになっています。
明日打合せの出たとこ勝負です。
どうなるかな
小道具を家の前の藪の中から引っ張り出してきました。
あした使いたいと思ったら使おうと思う。
お逢いできたら嬉しいです!!
詩を書いてみます
出逢って、そして別れてく
そのことになんの意味もないと思いますか?
つなぎたいとおもって結わえたものがほどける様をみるのは虚無感を感じさせることのようだけど
そうではないんだよ
何度も何度も出逢い直して そしてまた別れて
その繰り返し、
わたしはいつかバラケ
あなたもいつかバラケて
また どこかで 出逢う
空から降り、山を染みとおり、海へいたる塩のひと粒と
わたしは、同じ だ
引越し中の十日位前からずっとお客さんが出入りしていて、
夫が一緒にアースキャラバンしていたスタッフの人たちや、
福岡で求職中の友人、小学生の男の子や、韓国人の女の子、などがこの間まで来ていて、
今はイタリア人のジョバンニという青年が泊まっています。
来ていた人たちに引越しや塩作り作業を手伝ってもらいながら楽しい日々を送っていたのですが、
ここにきて疲れがたまってきたようです。
昨日は、リヤカーを自転車で引いて日本を8の字一周中の平(たいら)一樹さんが泊まりに来てくださって嬉しかったのに、
もう食欲もほとんどなく、一人で早々に眠ってしまい申し訳なかったです・・
今日も頭がぼんやりしていて体がうまく動かないので夫に「今日は一日休んでて」と、
ひとり家に残してもらっています。
明日もまた熊本からお客さんがひとり来る予定。その後何日かしてから今度はハタチ位の男の子が半月位いるみたい。
色んな旅人が泊まりに来ていて、またどこかへ出発していく、
そんな『港』のような場所に、わたし達のつくる家はなっていくといいと思っていて、
いまその状況に入っていきつつあるなと感じられているのだけど、
とりあえず早いところ引越し荷物を片付けて塩を軌道に乗せて、
「港」を整備しなければ。
いまは基盤がへろへろで内部崩壊を起こしそうなやや危うい状況なので・・
このままではまた先月のように倒れて点滴をする羽目になりそう。
ついつい私も夫も自分の限界まで友人達と楽しもうとしてしまう所があるので、
そこのバランスを上手くとりつつ、
まずは日常をきちんと安定させて
もっと持続可能な体制にもっていかなくてはなと思っています。
ひとりの時間もなんとかして確保したいところ。
さぁ、まずは少し休まなくちゃ・・
詩を書いてみます
わたしは人を愛しすぎてしまう
だけど無理なことも わかっていて
できることには 限界があった
だから結局誰のことも素直に愛せないまま生きているような気がする
『好きなのにごめんなさい』 といつもすまなく思いながら生きているような気がする
わたしがただ「役割」の中でこつこつと足元をみつめながら歩いていくことがほんとうに生きているということなのか たまにわからなくなりそうになるけれど、
手ごたえは感じられているんだ これまでになく
だけどなにかを取りこぼしていることもわかっているんだ
ちゃんと拾いにいくから
歩いていて
わたしも歩いていくよ
またいつかあなたに添うことが できますように
「母性愛の正しさ」
「良妻賢母の正しさ」
そして最近は「信心の正しさ」にも捉えられそうになっていた。
ここのところ、色んな正しさに押しつぶされそうになっていた
そんな中、自分の心の中にいる小学生高学年の頃の人格「M(私の本名)」と会話をしてみた。
これは私が悩む時に秘かに相談をする自分の中の人格のようなものです。
昔に比べると自分に統合されていて境界線がぼやけていますが、それでもいざという時に頼りにしている人格でもあります。
それは私の中の「まっすぐな眼」「曇らない眼」のような存在なのだと思います。
全ての状況をみているのは結局自分だけだから自分で判断せざるを得ない状況下だけど総体が混乱しているという時に、この人にアドバイスを求めるのです。
そうしたら、このままではただ潰れるだけだと気づき、潰されかけている中心の主体を探ってみた。
すると、馬鹿なほどの幼児的な感性のままひた走る、それがわたしの中心だということを感じられた
わたしはそのことを否定しかかっていた
「大人」になるためには「コドモ」を捨てなくてはならないと思っていた
しかしそれは無理だった
それは芯となる骨を抜いてしまうことに等しかったのだ
わたしにとって「コドモ」というのは一掃できるものではなく、自分の本質的な成り立ちに関わることだったのだ
あらゆる「正しさ」の中で揉まれ、ゆらぎ、一旦は全てを持っていかれそうになりながらも、
自分の感性に触れたものだけ連れてまた走る
それを螺旋のように繰り返してく
そうやって少しずつ昇っていく
わたしはそうやってずっと生きてきたのだ
老成しない人生、形式美の完成をみない人生
わたしはそれをよしとしてきた
これがわたしの生きる方法だったのだ
夫にそう気づいたことを話したら、
「そうでないととてもついてはこられないよ。『正しさ』なんて無視して走っていくんだから」 と言った。
そうやって、
わたしは 生きていこう
道化師の存在の面白さについては大学の頃から興味があった
シェークスピアの戯曲などで登場する道化師。
王の傍に常にいて、くだらないことや失礼なことを平気で喋りまくりながらある種の真実を突く言動をするという役割。
wikipediaで調べてみたら
『本来のピエロは、コメディア・デラルテに登場する、顔は真っ白で哀愁を漂わせ、好きな人を殺してしまうことでしか愛情表現できないキャラクターが起源とされる。』
と書いてあった。
わたしもある種の道化師なのであろう
目的の為ならば様々な言葉を、踊りを繰り出してみせよう
ただ、それが真実に触れる為であることを一瞬たりと忘れることなく
踊り続ける のだ
・・濁流に流されることだけが生きることか?
いや、そうじゃなく
なにか強い飛沫あびてそれでもなお微笑むような想像を絶する強さもあるのではないですか
へっちゃらで笑うそんな境地もあるのではないですか
流れに乗らなくなって、流れを見送ったっていいんじゃないですか
そのことが爽やかであることだってある
暗いくらい不信感が渦巻いていて、いつだって男を信用したことなんてなかった
いつだってアドバンテージを取りつつも流れに乗るという技術を駆使してやって来たけれど、
足元の流れに乗るのにはもう飽きた
どうどうと流れていく濁流を見送ってそして飛沫を受けつつも空を見上げて雲が鮮やかに大きく流れていく様を、共に踊りたいのだ
わたしは踊るわたしをわすれかけていた だから生命力が失われかけていた それじゃ、わたし、死んでしまう
もっと掘り返して撫で回したっていいんじゃないでしょうかね
エロチックでしんとした穏やかな「いま、ここ」を、
あなたは
妄信がわたしを支配してしまう前に もっと走れ速く!!!
もっと身ひとつの自由さを思いだすべきだ
強い性の濁流に呑み込まれて巻かれてしまっても わたしはいつかバラケル
バラッバラに砕け散る
笑うけれど分裂してる いつだってそう
花の束を取り落としながら自らも花の死の寝床へゆっくりとゆっくりと落ちていく時、
わたしはようやくすべてが一瞬でそして永遠であると知る
だからわたしは在ればいい そのままに在ればいい
わたし自身が飛沫であって相手の一部であって空気であって風であること
心のどこかですべてを 知っているのだから
ひさしぶりの日記です!
新潟では堀川久子さんというダンサーの方とお逢いしてお話したり、公演を観に行ったりしました。
もの凄い力量の方でかなり衝撃を受け、踊りに「北の風土」というものを感じました。
観ている最中ずっと凄い重力を感じ、身体がバラバラになりそうだった。
機会があればぜひまたお逢いしてワークショップも受けてみたいと思う。
東京では水族館劇場というテント芝居に滞在させていただいた。
役者さんのセリフの浸透率のすごさに驚いた。
キャラクターの枠を作ってそこでセリフを跳ね返すのではなく、魂の奥底から言葉が出ているように感じた。
「東京の他のテント芝居には子どもは入れない。でもうちはちがうから。」という劇団員の方の言葉にも深く感じる所があった。
また、水族館の現場に行ってなにかを掴み取りたいと思う。
そのためには日々を真剣に歩んでいかなければ。
今年の夏も出来ればダンス白州に行きたかった。
「縄文という生命」というテーマも気になるし、私の通っていた大学ゼミ教官がなぜかダンスの演出で参加するそうなので
できれば行きたいけれど、家の引越しが来月で夫の塩工房始動もあってどうも激動の日々になりそうで。
引越し先は枕崎というカツオで有名な街の山の中です。
薪風呂、井戸水、汲み取りトイレ、畑つき の一軒家で、新しい生活が始まることになります。
やるしかないぜ! という感じです
いま、深いところからじぶんに変化が起きてきています。
それは自分が来月29歳になることとも関わっているのだと思う。
どこに向かうのか
行こう!
鹿児島に帰ってくるのは6月10日くらいの予定です。
夫がキャラバンで新潟に来て出発する5月27日くらいまで新潟にいます。
行ければ山梨の田中泯さんの桃花村にも行きたい。
長野の友達にも逢えたら逢いたいなぁ。
そして6月7日頃に東京で夫と再び合流予定。
その前後に駒場の日本民藝館に琉球の織物展見に行ったり、
東京の友達に逢いに行ったりできたらいいな。
6月8日に羽田発北九州空港行きのスターフライヤーに乗る予定です。
北九州でも誰かに逢いたいと思う。
そして6月10日には鹿児島に帰り着きたいところ。
そんな予定なので、お逢いできる方がいたら連絡もらえたら嬉しいです。
日々、感謝を忘れず、
落ち込むことがあっても、
「まぁ、なんとかなるさ!」とおおらかに思いながら、
毎日を大切にしてこられたらと思っています。
今日も一日がはじまる
行ってきます!!
ゴールデンウィークは、鹿屋市柳谷(やねだん)集落の芸術祭に行ってきました。 やねだんの本拠地の柳谷集落は「行政に頼らないむらおこし」をして注目されている所です。
空き家対策として、「迎賓館」と名づけた家に格安家賃で芸術家に住んでもらったりされています。
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イベントは5月4~6日だったのだけど、4月27日位から全国のアーティストがやねだんに集まって合宿しながら集落の中で制作を始めるという企画だったので、私も少しだけ早めの5月1日からやねだんに行ってきました。
集落に伝わっている踊りがあると聞いていたので、
集落の踊りを習ったり踊りにまつわる話を聞いて発表できたらいいなと思いつつ、それが無理でもなんらかの形でイベント中に踊らせてもらえたらいいなと思っていました。
わたしは大学生の時に人類学のゼミに入っていて盆踊りの調査をして卒論を書いたのですが、その時にやった参与観察という『実際にやってみて感じたことを発表する』という手法と舞踏をうまく合わせて自分の作品にできないか という気持ちがあったのです。
さて、やねだんでの踊り探しを始めた滞在二日目の話から。
午前中は新しい迎賓館になる空き家の整備を手すきの人総出で手伝うことになった。
家の周りの立木をチェーンソーで刈りまくって軽トラで運搬したりなど大掛かりな作業だった。私は子連れでほとんど役に立たなかったけれど・・。
家の中に残っている荷物の片付けもした。
掃除機、布団、トイレブラシ、工具、靴・・
かつて住んでいた人がいた時そのままになっていた暮らしの匂いが残る物たちを縁側に集めていく。
こうやって大きな労力を惜しまず払うことで柳谷の空家活用が可能になっているんだということが目の当たりに出来たのでよかった。
午後には、やねだんで陶芸をしながら生活しているムラさんにやねだんで踊りに詳しそうな方のお家に案内してもらった。
ユゲちゃんという福岡から来ていた作家さんと一緒に。
残念なことにその方は体調がよくなくてお会いできなかったのだけど、
そのついでに集落の中を案内してもらいながらこぼれ話を色々と教えてもらった。
「ここの人は軽石を使う仕事をしてるから玄関先に大きい軽石が飾ってあるんだ」とか、「ここの塀やバス停は作品の素材に使ったらすごくいい」とか、住んでいる人だから見えることを色々教えてもらって楽しかった。
そして「ここの木立がすごくいいんだよ」と言ってムラさんが細い道をずんずん歩いていくのについていって、ちょっとした林のような場所で樹を見上げたりしていたらそこに面したお家に住んでいる70代くらいの女性が「誰かと思った。びっくりしたー」と言って出てこられた。
その方はムラさんと顔見知りのキミエさんという方で、「上がってお茶でも呑んでいかんね」と言ってくださるのでありがたく玄関先にお邪魔することに。
そして色々なお話しをしながら『小豆と金時豆の中間くらいの豆』を甘く煮て冷たく冷やしたものや、手作りの梅干しやラッキョウ漬けなどをお茶と共にごちそうになった。
こんな美味しいもの世界中にそうない、と思った まじで。
キミエさんのお宅の隣のお家の人は先日亡くなったようで、空き家になったばかりだそうだ。
庭先の菖蒲の花などがまだ美しく咲いていて、住んでいた人の家を大切にしていた思いの片鱗がまだ生きて残っていた。
そのお宅の庭先に壊れて閉じなくなった傘があったので、私は踊りに使わせてもらおうと借りていくことにした。
キミエさんは踊りについての話もしてくれた。
キミエさんがお嫁に来た56年前頃には「八月踊り」という踊りがあったのだという。
それはお盆の頃に踊られていたもので、30年位前からは途絶えているのだそうだ。
数え歌や三味線や胡弓の楽団がやぐらの上で演奏をして、
その周りを踊ってまわるというものだったらしい。
踊り手の男は紋付袴を着て、女は裾模様という黒紋付に裾に模様があるお嫁入り用の着物を着て、目だけ出す覆面をして踊ったもののようだ(覆面の話は他の方に聞いた)。
わたしはそれを聞いて「その踊りをぜひ習ってみたい!」と感じ、
習うのが無理でもどんな踊りだったか触れてみたいと思い、
「今でも踊れる方はご存知ないですか?」とキミエさんに聞いてみた。
すると「館長さん(村長さん)のお姉さんは三味線を弾いていたからわかるかもよ」と教えてもらった。
おぉ!と俄然盛り上がるわたし。
それでさっそく館長さんに聞いた所
「踊りがわかるのは○○さんがいるけど少し痴呆症になっているからなぁ。今回は時間もないから無理だろう」
とのことだった。
残念だったので他の人にも聞いてみたけれど道は開けず、実際日にちが残っていなかったので今回は踊りを習うのは諦めることにした。
やはりその土地に余り残っていない踊りを習うには最低1ヶ月の時間をかけるアプローチが必要だろうなと感じた。
でも踊りを覚えている人はもう80歳すぎの人だけなので、
近い将来には踊りを踊れる人が全くいなくなってしまうのだろうと思う。
もし機会があればいつかまた八月踊りにアプローチをかけてみたいと思う。
そして、やねだんには棒踊りという踊りがあることもわかった。
この棒踊りは今でも毎年2月に踊られているものだ。
主に子どもや大人の男性が踊るそうで、豊作を祈願して、集落の家を一軒一軒回って家の前で踊り、お布施をもらってまたもう一度踊ったり、酒を呑みながら踊ったり、となかなか楽しそうなお祭のようだった。
踊りで唄われる歌の内容はどうやら少し女性をバカにした内容のようだ。詳しい内容が気になる*
この踊りは知っている人が多いので教えてもらおうと思ったのだが、みんなイベントの準備に忙しくて結局これも教えてもらわず終いだった。
棒踊りの時期にまたやねだんを訪ねることが出来たらいいな、と思う。
そういう訳で集落の踊りを習うことはできなかったけれど、話を色んな人に聞いてみたことはやってよかったなと思う。
そして、5月4日の夕方、メインイベントの後に萩原さんという方が作品を展示している畑で踊らせてもらうことになった。
その畑は近くに田の神さまがいる神社があったので、
神社でお祈りをするところから踊りを始めることにした。
鹿児島の色々な所にいらっしゃる田の神さまは、素朴だけど力強さがある神さまたちだ。
スウェーデン人の作家さんにピアニカを弾いてもらったり、
以前も共演させてもらったことのあるミュージシャン方に太鼓や鳴り物等いろんな楽器を鳴らしてもらったり、
仲間の舞踏家さんにも踊ってもらったり、と贅沢な舞台設定になって、
日暮れ時の雰囲気もよく、畑の土や草は生きていて、
色んなものに力をもらった その時にしか成立し得ない踊りの時間をいただけました
みなさんありがとうございます の一言でした。
メインイベントは落語や舞踊やカポエイラなど、面白い演目目白押しでにぎやかでした。
集落のあちこちに展示されたアーティストの作品も観てまわり審査されたりもしてました。
集落の風景に溶け込む展示の数々は『新しい風景』を作り出していて、
「そこにあるものと一体になってつくりあげるということ」について見せてもらったように思う。
特にセキトさんの川を舞台にして畳と竹を素材にした大掛かりなインスタレーションを作るのを少し手伝って、それが完成・成立する瞬間を目の当たりにできたことには感動した。
その作品はその空間を明らかにそれまでと別次元に生まれ変わらせていて、素直に『凄いな』と思った。
イベントの演目の一つだったカポエイラはブラジルの踊りで、最近ちょうど気になっていたものだったのでここで出逢えるとはとびっくりした。
カポエイラは武術と踊りが融合したようなもので、
少し踊りを教えてもらったら、常に相手に対して構えをしたまま動き続け緊張感を失わない踊りの構築がされていて、
『こんなのもあるんだ!』といい刺激を受けることが出来ていい経験だった。
これは、カポエイラを習う間娘をみててくれたリエさんのおかげです。
感謝・感謝でした。
その日の夜は広場で焚火をしながら宴会だった。
おうどんや、あくまきや、しっとりふくれ菓子(米粉製)、巨大はまぐり焼きなどなど美味しいご飯がいっぱいでした。
キャラクターあふれるダンスやら、
しっとりとした美しいベリーダンス&タブラやら、
切ないギターの弾き語りやら、
焚き火を囲んで民俗芸能について話したり「仲間ってなんだろうか」という真面目な話をしてみたり なんだか素晴らしい夜だった。
踊りをみてくださったヤナギダさんという方から、
「衣装に使ってください」とオーガニックコットンの布をたくさんいただいたりもしてものすごく嬉しかったです
布をもらったことというよりも、それを衣装に使ってほしいと思ってくださったその方の気持ちがなによりも嬉しいことでした
そしてわたしの滞在最終日は鹿屋のジェンベチームによるジェンベワークショップが行われました。
太鼓を聞いてのりのりで踊りだす人たち。
そしてなぜかジェンベチームのメンバーの女性が沖縄出身だったために三線で唄のライブも始まった。
ビギンの「島んちゅの宝」という唄など、高音の美しい歌声に思わず涙がこぼれてしまった。
なぜかわたしはどこに行ってもやはり沖縄に出あってしまうのだな と思った。
それは嬉しいことなのだけれど。
お世話になったご夫婦の美味しいカレーをいただいて、空き家からお借りしていた傘を感謝してお返ししてから、みんなにお別れした
・・すごい濃い日々でした 帰り道の車中で突然熱を出したのは緊張の糸が切れたからだったのでしょう。
やねだんで得たことを 大切に大切に これからにつなげていきたい
そう、思っています!
