遅くなりましたが、
6/17枕崎サザンヒルズでのスペイン音楽ライブ出演時の
写真をいただいたのでアップします☆

普段はスポーツジムしてるスペースが会場で新鮮でした。
アランフエス協奏曲という曲で踊った時の写真です。

COCCOの新曲「ニライカナイ」の心を継ぎたく思い、
近所で採取した赤い花びらを撒きながら踊りました。

後で沖縄出身のスタッフに聞くとその花はデイゴの仲間だったそうです。
導かれたようで不思議な気持ちでした。
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今日はまた枕崎でのスペイン音楽ライブ第二弾に出演します。
出演者や内容は前回と大体同じ。
といってもライブですからなにがあるかはわかりません。

枕崎駅近くのサザンヒルズにて18時スタートです!

私はまたマイルスデイビスのアランフエス協奏曲で踊ります。

昨日COCCOの新曲「ニライカナイ」の映像を見たので赤い花を持って踊ろうかと考えてます。
前回は紫陽花を持ったのだけど。
いい花がみつかるかな。
今日探してみます。


ひとりの人間のなかにある「世界」

そこには善も悪も強さも弱さもあって、
わたしの中にはたくさんの存在が共存している
明日、鹿児島枕崎の美術館・南溟館の定期コンサート
「上釜理恵子SPAIN&ちゃんサネ♪枕崎 いどご同士でショー」
に出演します。
14時スタートです。

枕崎のエンターテイメントバンド・すんクジラブラザーズのライブに加えて、
バンマスのちゃんサネさんのいとこの上釜理恵子さんによる
写真展、スライドショー、ヨガ気功などもある盛り沢山のイベントです♪
上釜さんは普段はスペイン・バルセロナ在住の方だそう。
わたしも観客としても楽しみにしているところです。


今回、「素顔で踊ってみませんか」
と提案を受けて白塗りなしで踊ってみます。
意外と珍しいことなのでどう転ぶかな


そしてアランフエス協奏曲で踊ることになりそうです。
http://www.youtube.com/watch?v=oN-VbiPLgG0
http://www.youtube.com/watch?v=Dd1ChiP_Dek&feature=related

アランフエス協奏曲は、スペインの古都アランフエスが作曲当時のスペイン内戦で被害を受けたことから、
作曲家のホアキン・ロドリーゴがスペインとアランフエスの平和への想いを込めて作曲したと言われていて、
第2楽章は病によって重体となった妻や失った初めての子供に対する神への祈りが込められているとも言われているのだそうです。

それを知って、今の想いに共鳴するものを感じました。


先月のかつお祭りで共演させていただいた和太鼓の平田裕貴さんもまた出演されるようでそれも楽しみ。


と、書きつつも今回ライブ前の『いまの自分確認作業』がまだ十分ではないので、
今夜ひとりで向き合ってみます。


あす、お逢いできると嬉しいです!


舞踏家の大野一雄さんが6月1日に亡くなった。

8年位前に大野一雄さんの横浜の稽古場での大野慶人さんのワークショップに参加して御姿を少しみかけたことがあった。
もうその頃大野一雄さんは要介護状態だったけれど前日にワークショップに行った美希さんは踊っている所を観られたと喜んでた。

大野さんの著書「稽古の言葉」を読み返していた。

たくさんの言葉がからだに響くなかで、この言葉に目が留まった


『ラブレターを書く。
頭で書いたってだめですよ。
体全体で書く。
魂で書く。
何で書いたっていいんですよ。
恋人と、会話しながら。
書くときはそこにおるんです。
足で書いたっていいんでしょう。
ラブレターを足でもって書けたらずいぶんいいだろうと思うんですよ。
そんな踊り見たいですね。
何か知らないけれど気持ちが、ありがとう、何なのかわからないけれど、助かった、
こういう踊りのほうがいいと思うのです。』


大野一雄さんの言葉を、踊り 魂を

舞踏をするわたしは、わたしの踊りで、引き継いでいく



きょうは塩工房の大掃除でした。
それで、こないだ家の周辺の道端で収穫したハヤトウリの皮を畑に埋めに行って、「あ、田の神様のとこにいこうかな」
とふと思いつきました。

うちの畑の奥のほうに田の神様が在るのです。

田の神様とは鹿児島の至る所にあるお地蔵さまみたいなもので、「たのかんさぁ」と呼ばれ親しまれています。

その辺に咲いてた菜の花を一輪お供え用に摘んで歩いて行きました。
きょうはすばらしい青空。

うちの畑近くのたのかんさぁはちいさな四角い石に「田神」と彫ってあるだけで人の形はしていません。
でも裏に梵字らしきものが彫ってあります。
今度なんていう意味か調べてみよう。

お花を供えて手を合わせて祈りながら風の音を聞いていたら あ、ここで踊ってみようかな と思った

それで踊りはじめた

ひさしぶりに踊った

誰にみせるためでもない
でもたのかんさぁや風や木があって そこに呼吸するわたし


最近、これからどうやって踊りを続けていったらいいかあまりはっきりしない感じだったのだけど、
「あぁこれでいいんだな」と思った 

踊ることはわたしの生きることとはなれていきはしないのだ

またここでも踊ろうと思う



少年と悪

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少し前にNHKの「爆笑問題ニッポンの教養」という番組で
ロシア文学の紹介者の亀山郁夫さんがドストエフスキーについて爆笑問題と語り合うのを観てとても感銘を受けて、
このことについて書かないといけないなと思っていました。

そんな昨日、本屋に入ったら二冊の本と出遭った。
まず目に入ったのは
「福田君を殺して何になる」という本で、
光市母子殺害事件の事件当時未成年だった福田被告が書いた手紙などが取り上げられている内容だった。

さっと目を通しただけだが、
本が問いかけている
「この未熟な青年を殺すことが根本的な問題解決なのか?」
ということは胸にひっかかり、
また書店を歩き出したらまた一冊の本が目に留まった。

一家四人惨殺事件を起こした当時19歳だった被告(今は死刑囚)のドキュメンタリー「19歳」という本だった。

この死刑囚の起こした事件は、
強盗目的で侵入した家で老女や幼女を含む四人を少女の目の前で殺してしかもその少女をその場で犯すという酷いもので、
捕まった後もその男は全く反省のない態度だったという。

「読みたくない」という気持ちがありつつも、
その本に引き込まれ大半の内容を立ち読みした。
その男の生い立ちが特に気になったからだ。

その男は遊び人の父親の借金や暴力が原因で両親が離婚し夜逃げをしたり、貧乏が原因でいじめられたりしていたという。

しかし男の弟は真面目に生きているし、
もっと厳しい状況の中で道を外れず生きている人はいるのだから
生い立ちのせいには出来ないと本の中で著者も男に伝えている。

その通りだと私も思う。
しかし生い立ちを見ていると何箇所か道を外れるターニングポイントが目に留まった。

付き合っていた恋人との仲を親に引き裂かれたこと。
「家に電話はないです」と言って教師がクラスの皆と笑ったエピソード。

それらは些細なこととも言えるかもしれないが、
もしそれらの場面で誰か男を助ける人間がいればなにかが違ったのかもしれないと感じるものがあった。

これらの事件は本当に酷いもので、
もし自分が事件の関係者だったら、こんな本は見るのも嫌だろうし、
被告人は死刑で当然だと断じるに違いないと思う。

そうした遺族の方々の感情に同調したくなる自分の感情を抑えながら、私は問題の根本をみつめてみたいと感じた。


ドストエフスキーの「罪と罰」は、
引きこもりがちな苦学生のラスコーリニコフが
「天才は正義を実現するために犯罪をおかす権利がある」
という考えに捕われて金貸しの老女とその妹を殺すというストーリーだ。
「自分はほかの人間より多くのことを許された人間なんだ」という一文もある。

ドストエフスキーの描く時代は農奴開放後で混沌とした時代。
開放されたことで自由になったが
『自由は金がかかる』という事実があり、
すさまじい犯罪が起こってきだしたのだという。

その時代のロシアの広漠とした大地と現代のネット社会はどこか重なると亀山氏は指摘する。

「秋葉原通り魔殺傷事件の青年を法は裁けますか?」とも亀山氏は問題提起した。


「おわかりになりますか?これ以上行き場がないってことがいったい何を意味するか?」(罪と罰)


「罪と罰」のラストで、ラスコーリニコフは彼が汚したよごれた大地に口づけをして救われる

還ることが出来る大地を見出だすことができれば人間は救われるのかもしれない。
ただ、大地を見出だせない、還る場所も全くない人間は他人と繋がることを放棄せざるを得ない状況に追い込まれる。


最近近所に自然花(じねんか)という子育てサポートスペースが出来て、
そこの人達と親しくさせてもらっている。

自然花のスタッフの方達は児童養護施設で長年働いてきた経験があって、その当時の話を聞いたことがある。

児童養護施設に来る子ども達は家庭が崩壊して最後の行き場所としてそこに来ていて、
スタッフさんは昼夜を問わず子どもの脱走などで呼び出され、
ナイフを向けられた経験もあるという。

子ども達がそこまで追い詰められる前に救う場をつくりたいという志で自然花はつくられたのだそうだ。

夫が代表をしているNPOのやっていきたいことは
自然花と重なる部分が多いので
色んなことを協力してやっていきたいと思っています。

そして、仕事のない地方に新しい名物や雇用を作り出したり、
物々交換のネットワーク作りや「仕事と宿・食事を交換する働き方」なども模索したりしていきたいと思う。

機械のように使い捨てにされるのではない、人間として働ける道を拓いていきたい。

修学旅行の受け入れで中高生に触れる機会も大事にしていきたい。
その一日の経験が彼らの何かを変える可能性があるかもしれないのだから。

ドストエフスキーの最後の作品「カラマーゾフの兄弟」のエピローグで主人公アリョーシャは 叫ぶ


「もしも、自分たちの心に、たとえひとつでもよい思い出が残っていれば、いつかはそれがぼくらを救ってくれるのです。」


彼らの心にそういうものを残す可能性に賭けたいし、
例えドストエフスキーに遠くおよぶことなどなくても
少しでもわたしにできる表現方法 たぶん踊ること で「闇の中にある光」を解き明かしていきたい。

それがどんなに小さな一歩であっても。


そんな風に、思う。



風葬

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自分の醜さを

砂浜に横たえて、

風葬したい



昨日は、川辺町の店遊び萌という精神障がい者の人達が働いているお店の総会で踊らせてもらってきました

考えたすえ、最近なにかと出遭いが多かったCOCCOの曲で踊ることにしました
曲は
・雨の日のクワァームイ
・夢路
・愛について

傘やススキ・コスモスなどの草花を小道具で使いました。

今回は自分のコンディションを調えられてなかったなと思います。
体がなまっていて、自分が届きたいところまでからだが届いていなかった。

でも、観てくれた方が「人を愛おしいと感じた」という感想をくださったり、「今度絵のモデルになってください」というお話をいただいたり、枕崎の友だち親子も観に来てくれて、やっぱりやってみてよかったなと思いました。

花束やカレンダーやお菓子などもいっぱいいただいて、あったかいもので満たされたような、そして夕焼けの色がしずかに染みてくるような気持ちで、枕崎に帰りました。


新酒祭りで踊ります!

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きょう、枕崎市の薩摩白波明治蔵での新酒祭りに出演します。

すんクジラブラザーズバンドへの参加で18:30からです。

すんクジラに出会ったのは一年前の新酒祭りでした。
あの時にファンになって同じステージに上がることを夢みて、今年は自分も参加することになって‥
緊張とワクワクで胸が苦しくなってきます

振る舞い酒が呑めてステージ企画も盛り沢山の愉しいイベントですよー

今日は地場センター前の港での港祭りで塩出店もします。
こちらも是非お立ち寄りください☆


最近イベント目白押しで,日記に書きたいことも沢山たまっていておいてきぼり。

ドラムサークル鹿児島に行って即興セッションで踊らせてもらった話。 

パウロ・コエーリョ著「悪魔とプリン嬢」を読み終わったのでその感想。

など。

感想だけはなんとかそのうち書きたいです。

今日のライブはポーランド民謡風?のマラゲーニャ(国ちがうけど自分的に勝手にカルメンのイメージ)という曲とヨイトマケの曲で出演します。
ヨイトマケでは、日本舞踊の先生と共演なので「先生が説明踊りで母の役をするから、まさやんは母の情念の踊りをして」と言われています。 

小道具をあれこれ調達して、行って来ます!!
 
 

欲望や悪は宿命づけられている部分があるように思う。

以前、「人間は『これがもっと長く続いて欲しい』と願った(もしくは執着した)ために猿から人間への一歩を踏み出した」んじゃないかと勝手に考えたことがあったのだけれど、
その欲望と踊り続けるのが人間の宿命なのか?

一方で、回避できる悪もある気がする。児童買春するのはやめとこうとか。
そういうのは選択できる余地がある可能性が高い。

選択できる状況なのか、
ほかの選択肢があるかどうかはとても重要な点だろうなと思う。

逃げ道のない状況は人間を「それしかない」と追い込むので。

「違いを見分ける賢さ」
その賢さを是非得たいところだ。

弱っちい生き物である人間には、実はそれが唯一の宝刀なのかもしれないと思った。

*今回の記事は友人の舞踏家美希さんから意見を加えて作成した文章になっています。