きょうは塩工房の大掃除でした。
それで、こないだ家の周辺の道端で収穫したハヤトウリの皮を畑に埋めに行って、「あ、田の神様のとこにいこうかな」
とふと思いつきました。

うちの畑の奥のほうに田の神様が在るのです。

田の神様とは鹿児島の至る所にあるお地蔵さまみたいなもので、「たのかんさぁ」と呼ばれ親しまれています。

その辺に咲いてた菜の花を一輪お供え用に摘んで歩いて行きました。
きょうはすばらしい青空。

うちの畑近くのたのかんさぁはちいさな四角い石に「田神」と彫ってあるだけで人の形はしていません。
でも裏に梵字らしきものが彫ってあります。
今度なんていう意味か調べてみよう。

お花を供えて手を合わせて祈りながら風の音を聞いていたら あ、ここで踊ってみようかな と思った

それで踊りはじめた

ひさしぶりに踊った

誰にみせるためでもない
でもたのかんさぁや風や木があって そこに呼吸するわたし


最近、これからどうやって踊りを続けていったらいいかあまりはっきりしない感じだったのだけど、
「あぁこれでいいんだな」と思った 

踊ることはわたしの生きることとはなれていきはしないのだ

またここでも踊ろうと思う



少年と悪

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少し前にNHKの「爆笑問題ニッポンの教養」という番組で
ロシア文学の紹介者の亀山郁夫さんがドストエフスキーについて爆笑問題と語り合うのを観てとても感銘を受けて、
このことについて書かないといけないなと思っていました。

そんな昨日、本屋に入ったら二冊の本と出遭った。
まず目に入ったのは
「福田君を殺して何になる」という本で、
光市母子殺害事件の事件当時未成年だった福田被告が書いた手紙などが取り上げられている内容だった。

さっと目を通しただけだが、
本が問いかけている
「この未熟な青年を殺すことが根本的な問題解決なのか?」
ということは胸にひっかかり、
また書店を歩き出したらまた一冊の本が目に留まった。

一家四人惨殺事件を起こした当時19歳だった被告(今は死刑囚)のドキュメンタリー「19歳」という本だった。

この死刑囚の起こした事件は、
強盗目的で侵入した家で老女や幼女を含む四人を少女の目の前で殺してしかもその少女をその場で犯すという酷いもので、
捕まった後もその男は全く反省のない態度だったという。

「読みたくない」という気持ちがありつつも、
その本に引き込まれ大半の内容を立ち読みした。
その男の生い立ちが特に気になったからだ。

その男は遊び人の父親の借金や暴力が原因で両親が離婚し夜逃げをしたり、貧乏が原因でいじめられたりしていたという。

しかし男の弟は真面目に生きているし、
もっと厳しい状況の中で道を外れず生きている人はいるのだから
生い立ちのせいには出来ないと本の中で著者も男に伝えている。

その通りだと私も思う。
しかし生い立ちを見ていると何箇所か道を外れるターニングポイントが目に留まった。

付き合っていた恋人との仲を親に引き裂かれたこと。
「家に電話はないです」と言って教師がクラスの皆と笑ったエピソード。

それらは些細なこととも言えるかもしれないが、
もしそれらの場面で誰か男を助ける人間がいればなにかが違ったのかもしれないと感じるものがあった。

これらの事件は本当に酷いもので、
もし自分が事件の関係者だったら、こんな本は見るのも嫌だろうし、
被告人は死刑で当然だと断じるに違いないと思う。

そうした遺族の方々の感情に同調したくなる自分の感情を抑えながら、私は問題の根本をみつめてみたいと感じた。


ドストエフスキーの「罪と罰」は、
引きこもりがちな苦学生のラスコーリニコフが
「天才は正義を実現するために犯罪をおかす権利がある」
という考えに捕われて金貸しの老女とその妹を殺すというストーリーだ。
「自分はほかの人間より多くのことを許された人間なんだ」という一文もある。

ドストエフスキーの描く時代は農奴開放後で混沌とした時代。
開放されたことで自由になったが
『自由は金がかかる』という事実があり、
すさまじい犯罪が起こってきだしたのだという。

その時代のロシアの広漠とした大地と現代のネット社会はどこか重なると亀山氏は指摘する。

「秋葉原通り魔殺傷事件の青年を法は裁けますか?」とも亀山氏は問題提起した。


「おわかりになりますか?これ以上行き場がないってことがいったい何を意味するか?」(罪と罰)


「罪と罰」のラストで、ラスコーリニコフは彼が汚したよごれた大地に口づけをして救われる

還ることが出来る大地を見出だすことができれば人間は救われるのかもしれない。
ただ、大地を見出だせない、還る場所も全くない人間は他人と繋がることを放棄せざるを得ない状況に追い込まれる。


最近近所に自然花(じねんか)という子育てサポートスペースが出来て、
そこの人達と親しくさせてもらっている。

自然花のスタッフの方達は児童養護施設で長年働いてきた経験があって、その当時の話を聞いたことがある。

児童養護施設に来る子ども達は家庭が崩壊して最後の行き場所としてそこに来ていて、
スタッフさんは昼夜を問わず子どもの脱走などで呼び出され、
ナイフを向けられた経験もあるという。

子ども達がそこまで追い詰められる前に救う場をつくりたいという志で自然花はつくられたのだそうだ。

夫が代表をしているNPOのやっていきたいことは
自然花と重なる部分が多いので
色んなことを協力してやっていきたいと思っています。

そして、仕事のない地方に新しい名物や雇用を作り出したり、
物々交換のネットワーク作りや「仕事と宿・食事を交換する働き方」なども模索したりしていきたいと思う。

機械のように使い捨てにされるのではない、人間として働ける道を拓いていきたい。

修学旅行の受け入れで中高生に触れる機会も大事にしていきたい。
その一日の経験が彼らの何かを変える可能性があるかもしれないのだから。

ドストエフスキーの最後の作品「カラマーゾフの兄弟」のエピローグで主人公アリョーシャは 叫ぶ


「もしも、自分たちの心に、たとえひとつでもよい思い出が残っていれば、いつかはそれがぼくらを救ってくれるのです。」


彼らの心にそういうものを残す可能性に賭けたいし、
例えドストエフスキーに遠くおよぶことなどなくても
少しでもわたしにできる表現方法 たぶん踊ること で「闇の中にある光」を解き明かしていきたい。

それがどんなに小さな一歩であっても。


そんな風に、思う。



風葬

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自分の醜さを

砂浜に横たえて、

風葬したい



昨日は、川辺町の店遊び萌という精神障がい者の人達が働いているお店の総会で踊らせてもらってきました

考えたすえ、最近なにかと出遭いが多かったCOCCOの曲で踊ることにしました
曲は
・雨の日のクワァームイ
・夢路
・愛について

傘やススキ・コスモスなどの草花を小道具で使いました。

今回は自分のコンディションを調えられてなかったなと思います。
体がなまっていて、自分が届きたいところまでからだが届いていなかった。

でも、観てくれた方が「人を愛おしいと感じた」という感想をくださったり、「今度絵のモデルになってください」というお話をいただいたり、枕崎の友だち親子も観に来てくれて、やっぱりやってみてよかったなと思いました。

花束やカレンダーやお菓子などもいっぱいいただいて、あったかいもので満たされたような、そして夕焼けの色がしずかに染みてくるような気持ちで、枕崎に帰りました。


新酒祭りで踊ります!

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きょう、枕崎市の薩摩白波明治蔵での新酒祭りに出演します。

すんクジラブラザーズバンドへの参加で18:30からです。

すんクジラに出会ったのは一年前の新酒祭りでした。
あの時にファンになって同じステージに上がることを夢みて、今年は自分も参加することになって‥
緊張とワクワクで胸が苦しくなってきます

振る舞い酒が呑めてステージ企画も盛り沢山の愉しいイベントですよー

今日は地場センター前の港での港祭りで塩出店もします。
こちらも是非お立ち寄りください☆


最近イベント目白押しで,日記に書きたいことも沢山たまっていておいてきぼり。

ドラムサークル鹿児島に行って即興セッションで踊らせてもらった話。 

パウロ・コエーリョ著「悪魔とプリン嬢」を読み終わったのでその感想。

など。

感想だけはなんとかそのうち書きたいです。

今日のライブはポーランド民謡風?のマラゲーニャ(国ちがうけど自分的に勝手にカルメンのイメージ)という曲とヨイトマケの曲で出演します。
ヨイトマケでは、日本舞踊の先生と共演なので「先生が説明踊りで母の役をするから、まさやんは母の情念の踊りをして」と言われています。 

小道具をあれこれ調達して、行って来ます!!
 
 

欲望や悪は宿命づけられている部分があるように思う。

以前、「人間は『これがもっと長く続いて欲しい』と願った(もしくは執着した)ために猿から人間への一歩を踏み出した」んじゃないかと勝手に考えたことがあったのだけれど、
その欲望と踊り続けるのが人間の宿命なのか?

一方で、回避できる悪もある気がする。児童買春するのはやめとこうとか。
そういうのは選択できる余地がある可能性が高い。

選択できる状況なのか、
ほかの選択肢があるかどうかはとても重要な点だろうなと思う。

逃げ道のない状況は人間を「それしかない」と追い込むので。

「違いを見分ける賢さ」
その賢さを是非得たいところだ。

弱っちい生き物である人間には、実はそれが唯一の宝刀なのかもしれないと思った。

*今回の記事は友人の舞踏家美希さんから意見を加えて作成した文章になっています。

 

欲望と悪

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皆既日食.jpg
最近の考え事が集約されてきて、「欲望と悪」について考えてみようかという所にいます。

いま私は「人生でなにをしていきたいか」ということが大分明確になってきていると思うけれど、なにか落ち着ききれない部分があり達観には到らず、「これはなんだろう?」と感じていました。

最近、音色について考えていたためにお経に興味を持ち、兼ねてから気になっていた観音経についての本や、瀬戸内寂聴の般若心経についての本を読んだりしていたのですが、日常に仏教的価値観を取り入れるのはどうも腑に落ちず、寂聴さんの本は読むのを中断してみました。

やっぱりあまりに理想主義なものはまだ若い私には早いのか?と思い、
いつものように江國香織やよしもとばななや川上弘美や山本文緒を出してきて色々読んでいたけど、好きだけどやっぱりどうも腑に落ちない部分が残って着地できない。

とりあえず瀬戸内寂聴さんの若い時の小説でも読んでみるかと思いつつも、図書館の本の中であてもなく漂流してみてました。

そして家の手持ちの本の中からふと村上龍の「イビサ」が出てきて、
「あぁ今までこの小説とは向き合うのを逃げてたんだよな‥」と思い、でもいま自分がひっかかっている部分はこの小説のテーマに近いものなのかもしれないと思いました。

人間の欲望は時に醜悪で目をそむけたくなる。
だから「自分はそこから既に下りています」という地点に立っているような顔をしたくなる。
でも生きている限り自分はあらゆる欲望と無関係ではいられない。

人間には三大欲というものがあって、生命力と欲望は切り離せない関係にある。

ヤン・ソギルの「闇の子供たち」はタイの幼児売春を生々しく描写した作品だが、私はこれを初めて書店で読んだ時吐き気がした。欲望を発露させる人間があまりに醜悪で、出来ればこの本はみなかったことにして逃げ去りたかった。
でも逃げる訳にいかず、その本を買った。でもいまだにちゃんと全部読めていない。

イビサでも登場人物はあらゆる欲望に走り、最終的に手足を切断されるような事態に向かう。
その描写が生々しく目をそむけたくなるのだ。

だけどこれは現実の一側面だということを知っているからこそ、これほど吐き気がするのだ。

例えば欲望の揺れ幅があるとして、極端な欲望が幼児買春だったりドラッグや虐殺だとして、一般的とされている欲望が衣食住欲や合意の元のセックス(風俗を含む)、低い欲望だが美しいとされているのがお釈迦様が悟りを開く前に食べたミルク粥や川での行水であるとする。

多くの人は極端な例を悪とし、一般的な例以下を善なる欲望とするだろう。

しかしこれらには無数の「境界例」が存在する。

例えば、
・風俗で本番NGなのにちょっと無理やりやっちゃった
・恋人だった人にふられてつきまとってしまう
・妻子ある人を好きになる
・食べ残された「まだ食べられる」物が大量に捨てられる
・部下をきつく叱ってストレス発散する上司
・いじめを見てるけどみないふりしている人
・動物実験
・好色で金持ちの僧
・ロリコン系エロマンガやビデオが好き

これらになってくると人によって微妙に意見が違ってくるものだと思う。

そして極端な例と思われる次元でもやはり境界例が存在するのだ。

例えば
・貧しさと絶望に追い込まれ幼児売春のブローカーをしている人
・虐殺を自分はやらないけどそばで見ているひと(「イビサ」でも女性の体がチェーンソーで斬られているのを憂鬱そうに眺めている男が「お前にはわからないかも知れないが、こういうヴィデオが世の中を救ったりするのだ、オレは不愉快だが多くの人々を救うためだからしょうがない」と言っている)
・戦争で嫌々ながら敵を殺したり、死にかけの人を置き去りにする
・自爆テロで敵国の兵士を殺す

これらはどうだろうか

悪の基準は絶対的ではなく相対的なものなのだと思う。

例えばわたしが子どもにたこさんウインナーを作る行為は、
子どもが喜ぶから善だと言うひともいれば、
ウインナーは体に悪いから悪だと言う人もいるだろう。

状況によって善悪の基準はたやすく変わるのだ。

手元にいまパウロ・コエーリョの「悪魔とプリン嬢」という本があって、
「条件さえ整えば、地球上のすべての人間がよろこんで悪をなす」
という考えを持った旅人が描かれているらしい。

この本を読んでまたじっくり考えてみようと思っている


これらの主題にたどり着いたのは、今度参加するすんクジラブラザーズのライブでカルメンの曲があるからよろしくねー
と言われたのもきっかけのひとつ。

以前読んだアンナ・カレーニナやカルメンのように「恋に生きた女」は最終的に死に至る。

傲慢と純粋と美もまた紙一重なのだろう


最終的には「わたしだけの基準」を見出だすしかないのだろうとも思うけれど、境界で揺らぐ人間のメカニズムについてじっくり考えていってみたいと思います。

このテーマを考えるのに役に立ちそうなオススメの本をご存知のかたはおしえてもらえたら嬉しいです。

サドとバタイユはチェックしようかなぁと思っています。

ご意見もいただけたら嬉しいです


写真は2009年7月22日の皆既日食の写真です*
 特に本文の内容とは関係ありません^^;
(でもこの写真を載せたいと思ったのはなにか直観的に関係しているのかも。
最近神秘思想家のグルジェフの思想に触れたからかな?)
 
数週間前のある日、
いつものように塩工房で塩のゴミ取り作業を
ノラジョーンズのCDを聴きながらしていたら
スタッフのタナカ君がふと

「ノラジョーンズが頭の中に流れている精神状態っていいよね」

と言って、
それからわたしは最近ずっと「自分の心の中で流れる音色」について考えていました。
(ちなみにノラジョーンズは美しく落ち着きのある声をもった女性ジャズ・ヴォーカリストです。
たなか君が好きなアーティストで、わたしの趣味ではないです。)


自分の中にはどんな音楽が流れている・・?


その言葉を聞いたときの自分は余裕があまりない状態で、
先日の「雑音」という日記でも気づき始めていたのだけれど、

自分が「心の中で穏やかな音楽を奏でることができない状態」
であることにその時はっきり気づき、不思議な衝撃を受けたのです


18歳のときに出会った大学の助教授に
「二十代をどう過ごすかで30以降が決まる」
と言われてから、ずっと心の奥底にその言葉があったように思う。

その時わたしは『二十台のうちはとことん自分を追い込もう』
と胸の中で決めたのだと思います。

だからわたしは音楽を聴く時も、なるべく自分を追い込もうとしてきたように思う。
「これはいい」と思ったものしか聴かないけれど、
心を極限まで揺らすために何度も何度も同じ曲を聴き続けたりしてきた。
「自分を痛めつけてるし、これって本当に意味があるのかな?」
と何度も疑問に思ったけれど、それでも。


いま、仕事がまいにちふつうに忙しくて、
仕事のことを考えながら暮らしているだけで心が常にすごく急いでいて、
それでも音楽を聴く姿勢はあまり変えないまま来たので、
心の中の音色はどんどん荒れていってしまっていたのだ。


このやり方をいま、変えていこうと思う。


踊る上で、踊り手は音楽に「踊らされる」のではなく、
自分の中にある音色とともにあるべきなのだとずっと思ってきたのに
日常ではそうしてこなかった。

その大切さを日々の中でもちゃんとかみしめたいと思う。


自分の心の中の音色をちゃんと聴いて、ととのえていこう わたしの手で。


わたしは、三十歳になりました


きのうは東京から友だちのとんちゃんが遊びに来てくれて、
お祝いにcoccoの「こっこさんの台所」というCDをプレゼントしてくれた。

音色のことをずっとかんがえていたからなんだかすごく運命的だな と思った。
ひとりの時に大切に聴きたいと思ってます。


友だちや家族の笑顔で祝ってもらえる誕生日はほんとうにほんとうに嬉しい


みなさんから毎日たくさんの力をもらっています

ありがとうございます



これからも、よろしくお願いします!!!




今日は14時位から枕崎市木原公民館の敬老会で踊ります。
すんクジラブラザーズのライブ参加です。

お年寄り中心の客層は初めてなのでドキドキです

大切に踊ってきたいと思います


毎日色んなことがあります
日記に書こうと思って置き去りになった沢山の出来事への想いがあります。
先月の森の学校での丸山さんライブで受け取ったかけがえないもの。
ヨットで串木野からクタ島に行った日。
塩工房の住み込みのタナカ君への感謝や彼からの学び。
子育てについての試行錯誤。

今は日々を生き抜くことで精一杯だけど、いつかそのつど日々の大切なものを伝えていける所に辿り着けるように いまはもう少し自分の心と向かい合います

今月三十歳をむかえるわたし

そのタイミングに新しいスタートを切れるよう

あせらず、きょうはきょうのしごとをしたいと思います


今日は塩工房に日本中を歩きながら木を植えている中渓宏一さんが来訪して、明日は長野在住でマダガスカル大好きな女の子が逢いに来てくれます。 
逢いたい方はご連絡ください!

あさって19日水曜日、南九州市川辺の森のがっこうでのライブに出演します!

メインは丸山裕一郎&こやまはるこさんご夫婦で、
丸山さんは多種多様な民族楽器を演奏しながら世界中で公演されている方だそうです。
楽器はビリンバウ・カンリンバ・ジャンベ・ボサノバギター・レインスティックetc.

丸山祐一郎さんブログ
http://blog.goo.ne.jp/pacenokaze

わたしはお逢いするのは初めてなので、
どうなるかドキドキワクワクです。
CDは聞かせていただきましたが、楽器の音色が素敵でした。

ライブは19時ー21時の予定です、昼間も楽しいイベントが用意されています☆

13:00ー14:45は水カンリンバという
空き缶に水を入れた楽器をつくるワークショップ、
15:00ー15:45はドラムサークルという
みんなで輪になって太鼓を叩いてたのしむワークショップ

がおこなわれます!

これまたすっごく楽しみ♪
子どもさんも楽しめると思います
水カンリンバは自由研究に使えるかも!
わたしも子ども達をつれて行きます☆

水カンリンバはこういうものだそうです*
http://www.youtube.com/watch?gl=JP&hl=ja&v=XHSgZG3fZW0


森の学校の場所はこちらです*
緑あふれる森の中にある素敵な空間ですよーー

南九州市川辺町本別府3728-2  
tel:0993-56-6566

地図はこちら↓
http://www.npo-panda.jp/arts_base/panda-forest-school-01.html#MAP
http://www.npo-panda.jp/arts_base/panda-forest-school-01.html

鹿児島より国道225号線を南下。
川辺町内の勝目麓交差点を左折。県道29号線沿い。
南九州市川辺支所(旧川辺町役場)から車で7分ほど。

charge:前売り・予約2000円 当日2500 円
(水カンリンバwsに参加される方は+1000円)
 です*

わたしもご予約受付けますのでご連絡ください♪

部分参加ももちろんOKです*
19日はぜひお誘いあわせのうえ森のがっこうに遊びにきてください!!


・・・


無理をしたすえに自分の手のひらの大きさを知った


からだの悲鳴をきいた


いま、手放していこう



そうする中でも わたしの中でしずかに燃える炎


 なんのためにがんばるのか みみをすまして きいてみよう



新しいバランスに入っていくだろう